はてなキーワード: モノローグとは
実は男を徹底的に女に都合のいい「モノ」として描いてるんだね。
そう言えば殴る蹴るもほとんどないし、肉便器系の暴言もない、
キモ男だと寸止めだったり、後にイケメンが全力で支える為のフラグだったりするしね…。
なんて都合のいいw
実況中継・おねだりとモノローグの対比はすごく新鮮
本筋とは全く関係ないんだが、
オタク、イコールアニメオタク。みたいに言うのはやめてくれないか。と洋ゲーオタクが言ってみる。
という俺自身も、昔はそういう認識を持っていて
「そうか、俺はオタクなんだからアニメを見なきゃならないんだな。」と
小説や漫画、それとゲームなら自分のペースで読み進められるが、
30秒くらいかけて 長々と読み上げられるような演出を押し付けられ、
見ていてイライラしてしまう。だからといって早送りして飛ばしたら話がわかなくなるし。
それでも頑張って見てたよ。俺はオタクだからアニメに詳しくなければならないんだ、という強迫観念に追われて。
別に、オタクだからってアニメの話についていけなくても良いんだ。ということに気づいたのはそれから数年後。
今ではゲーム一筋に生きている。今期のアニメがどうこうとかいう話をされてもさっぱりだ。
しかし、あのアニメに費やした無駄な時間で、一体どれだけの名作ゲームを味わうことができたのだろうか、と考えると頭を抱えるしかない。
連載でだらだら読んでいるだけで、特に最近はうろ覚え回込みなので的外れかもしれませんが。普通に赤木vs鷲巣の麻雀勝負からシームレスに移行したのでいまひとつ転換が周知されていないですが、実はそういうことなのではないかと。天ラストの、赤木茂個人の人生総括と価値観の提示というエピソードを、そのまま鷲巣に変えて行われているのではないだろうか、という。
今の赤木で凄く不自然なのは、鷲巣の視点が異様に多いこと、またアカギがほとんどピンチにならないことです。前者はもちろん"アカギが勝つ物語"なら、アカギの思考=種明かしをそのままだしてしまうことは致命的なのである程度仕方ないですが、それにしても周りには驚き役もたくさんいるわけであるのに、あまりにも鷲巣視点のモノローグ等が多すぎる。そして後者は完全に今までの「アカギ」の物語作りから外れています。圧倒的不利をその才知で覆す、というのがアカギのであったはずであり、ここにきて大幅な枠の転換が起きているのです。
で、それはなぜかというと、今(ここ数年。六回戦開始ぐらいから?)の福本伸行先生が"書いている"こと、そして"書こうとしている"ことは、アカギの物語ではなく、鷲巣巌の人生の総括と価値観の提示、つまり鷲巣版「赤木通夜編」なのではないでしょうか。どちらも触媒として「死」が絡んでおり、同じ老境でありながら赤木と鷲巣では状況が真逆(死を選ぶ/強制される、死に向かう/拒否する、等)という中で、福本先生は再び傑出した個性が死にゆくとき何を想うのかを、書こうとしているのではないだろうかと――。特に鷲巣がそろそろ"死にそう"なこれからの展開は、なかなか興味深いです。
ちなみに細かいことをいくつかいうと、だからクソ長くなるんですよねー。思考に頁をとられてしまうのは福本先生自ら認めていることなのですが、必然的に、という感じで。あと「ここからは麻雀やらないで人生語りやるね!」と区切ってだした天の通夜編が不評だった?ことへの反省から、今度は麻雀勝負の流れの上で書こうとしたのかなあ、という邪推。それが成功するかはわかりませんが。
オレは1972年産まれ。ロスジェネ世代をささえる中心的世代。
バブル崩壊から、受験戦争、就職超氷河期をなんとか乗り切って、泥のような生活をしているけど、
仕事は辛くとも楽しんでいる。というか、つらくとも仕事は楽しく取り組むというのがオレの信条。
仕事は広告代理店で、クライアントと制作、会社の上司と部下のW板挟みにされるのが仕事。
主にイベント関係をやっているけど、この10年間あまりいいことはなかったなー。
おじさん達は何かあれば、万博の月の石があればなーっていうけど、
それだけ集客を集めるモノはもう21世紀以降はないんじゃないかなって思っている。
たまに思うことがあるのは、高校の同級生のこと。
オレのいっていた高校は地方の進学校だったけど、友人が進学せずにNTTに就職したんだよ。
まぁバブルがちょうどはじけた時とはいえ、進学しないってことを当たり前のように思っていたので非常に驚いたんだけど、
「頭があんまよくないし」って理由で働くことを希望したそう。
今から思えばその後の氷河期のことを思うと、いい選択だったよなと素直に関心する。
さて、最近は泥のような毎日を送ってきたせいで、泥から抜け出すことを忘れてしまったようだ。
残業も一月に100時間は優に超えているし、自分の時間も全くないんだけど、非モテながら結婚し、
ここまでなんとかやってきた。忙しいってことだけで、充実している日々を送った気になっているけど、
本当はもっとぐうたらしたかったんだよねーって振り返る。
そうそう、思い返せば、卒業文集の寄せ書きに「楽して生きたい」って書いてから、
辛い人生が始まった気がするな。
あの時に戻れるなら、せめて「苦しまずに生きたい」って書き直しとこ。
非常に判りにくい。
冗談はさておき。
発話者の数と方向性の問題ですよ。
ってのは判りますよね? で、logueローグまたはログで話。
つまりさっきの結論としてはanondでダイアログ=対話、また対話における気遣いを求めるのはお門違いってこと。それはなんでかって言うと読み書きする人が、実体の見えない大きな何か(増田とか愛煙家とか)の押しつける意見=モノローグに対抗して話してる気になってしまうから。つまり「マス対コア!マス対コア!」という感じになっちゃう。(実在しない)大きな存在に対する恐怖から、けんか腰。
実体はポリローグ=井戸端会議で、いろんな人がいろんなこと言ってるだけなのにね。増田コワイコワイヒー><
まだわかりにくい? 神経逆なで?
知ってるよ。だってお金ももらってないのにわかりやすく書くつもりなんか無いモン! 書きやすく書くモン!
そうか。増田は祈りにもなりうるんだ。
全く周りを気にせずタバコを吸う人は、吸わない人の煙を吸わない権利をあっさり侵害している。
さらに、喘息なりなんなりで煙が即有害な人が居た場合、普通にその場にいる権利すら奪われる。
普通の人でも、程度は低いにしろ確実に肺が汚染されている。(それをたいした事無いと思えるかどうかはその人次第)
結局どちらも自分の権利の抑圧に恐怖してるだけ。それを譲り合えないから、非コミュと言われてしまったのではないかと。
(相手に配慮できない人は軽度の非コミュみたいなもんだし)
については、"増田だから"ではなく、お互いの言い方が悪すぎたから発生していると思う。
相手を煽る単語が一つも無かったら、その後ろは続きようが無い。
で、読んで思ったんだが、相手にわかりにくい単語を使いすぎなのが、相手の神経を逆なでしている要因になっていると思う。
ダイアログ=対話=意識
ポリローグ=井戸端=実体
モノローグ=単声=誤解
双声
複声
単声
これらの項目名に使われている単語すべてがぐぐっても国語辞典を引いても、内容との関連を見出せる意味が出てこない。
不特定多数が参加する増田でさらに誤解を招いている要因にしかなっていないように思える。
(と言うか何の用語なんだ?)
ばっさり言わせて貰うと、かっこつけてしゃべろうとしすぎ。非常に判りにくい。
ふー。昼ごはん食べて一服して落ち着いた。
つまりそれは灰皿に水が入ってないからだよ!ΩΩ Ω<な、なんだってー
……ハイ。いいかげんしつこいですね。
非嫌煙家はなんであんなにヒステリックな応対になってしまうかというと(すくなくともおれは)、嫌煙家の中に差別主義、って言い方はちょっときついか。すくなくとも「自分が正しければ他人を避難してもかまわない主義」が見て取れるから。
喫煙は旧大陸に入ってきた当初から非モラル側のアイテムだったわけで(「喫煙が聖書によって禁じられてなくてよかった」とかいう冗談もあるくらい)、タバコを飲む人は、オルタナティブに寛容であることを好むように思う。
ところが嫌煙家は「間違ってるから」という理由で喫煙を許容しようとしない。ここでもうひとつつまらない冗談を言うと「ヤツらはタバコを禁止しようとしている。この次はきっと酒とセックスだぜ。最終的には隣人に笑いかけることも禁止されるに違いない」。つまり「それがタバコだけにすまない」ということを妄想してしまうがために非嫌煙家は恐怖してしまう。これがヒステリックな反論文を書いてしまう原因なんじゃないかな。
もちろん、ここで「そこまで恐怖することもないじゃん」と意見するのは当然だと思う。1対1なら説得するなり、目の前で喫うのを控えたりすればいいだけの話だからだ。実際、嫌煙家のだれかと喫煙者であるおれが、面と向かってここまで罵り合うことなんか想像もできない。つまり「私を気遣え」の百年戦争は非コミュがいる限り終わらないの「非コミュ」なんか、そうそういないんだと思う。そうではなく、「非コミュにしているのは誰か」、という問題を考えたほうがいいんじゃないのかな。
これは明らかに「はてな匿名ダイアリー」だから発生しえた状況だ、と思う。
自分を例にすると
の流れでおれは会話した気になってた。つまり対話=ダイアログを想定していたわけだ(まぁずいぶんと好戦的に文体を変えてくるモンだな、とか思ったけどw)。ところがご存じの通り増田で初噛みつかれで明かされたのは「それ私とちゃいまっせ」ということだった。
つまりanondにあるのは多声的=ポリフォニックな議論なのか。烏合の衆。衆愚衆愚。井戸端井戸端。まあそれが正解なんじゃん。
と思いきや。どうやらおれの奥の方の意識はそう受け取ってなかったようだ。
id、キャップなどで個体の識別ができる(とされている)ほかの匿名の場と違い、anondにおいては一切その手段がない。もちろんidなり固有名を名乗っても良いが、それはかんたんに騙れてしまう以上、誰もその有効性を信じていない。もちろんだ。つまりそこを読む個人であるおれに見えるのは「はてな匿名日記」という一つの声だ。もしくは「嫌煙!」と叫ぶたった一つの声。それは(バカらしいことだが)かんたんに「世間の声」のモノローグと誤解されてしまう(あくまで潜在した意識のレベルね)。
だって、誰も「自分の後ろを歩いてるあのおっさんも目の前から来るあの兄ちゃんもが『喫煙者は市ね』と思ってる」とか、いろんな意味で想像したくないでしょ。そんな世間、全力で拒否したいでしょ。声を大にして反論したくなるでしょ。
そう。喫煙者がフレームアップしたのは、ある人物に自分が罵られたからじゃない。世間が自分たちを排除しようとしている/ある集団を「不正義だから」というだけの理由で排除しようとする世間になりつつある、この2つに恐怖したからだ。まあそれはanondというシステムが生み出した、くだらない誤解なワケですが。
いやホント。よく似てるよ。
タバコがお嫌いなみなさんは?
何に恐怖してるんだろう。
不健康?
逸脱?
これは煽りじゃなくて、本当に興味がある。
あなたは何を恐怖しますか?
もっともタバコを愛しているのは恋する人と兵士だ。
「いずれ来るドデカい一発」を待望し続ける人たち。
詠み人知らず。