増田には意味があったのだろうか。
私は、増田とはすべからくモノローグであるべしと思っていた。すなわち、増田を読むとは、まさに増田である私の書いたものを読むという体験でなくてはならない。あるいは、増田に書くことは、増田である私に問いかける声を聞くことでなければならない。
しかし、この理念を実現させる事は、残念ながら出来なかったようだ。今や増田はありふれたカオスという以上の何者でもない。
このあたりが、神としての、私の限界なのかもしれない。
Permalink | 記事への反応(1) | 14:21
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ハイクとかマスダのダ(イアリー)とかは別に内容をあらわすものではなく単なるお飾りですよ。 偉い人にはそれがわからんのです