はてなキーワード: 落ち着けとは
落ち着けおまいら。
「叩く専門家もいる」っていうのが、「叩くことを専門にしてるやつがいる」っていうのと、「専門家の中にはそういうのを叩くやつもいる」っていうので食い違ってるぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20090725202927
なぜ、“そういう人たち”が解決策を求めていないように見えるのか?というと、
おそらく、“そういう人たち”は自分に嘘をつくことで自分を守ってきたからだと思う。
自分を騙すこと、自分に言い訳を与えることで自分の存在を守ってきた。
暴力に暴力で反撃することもできず、自分自身を笑ったり、祝福したりすることもできず、
苦しい現状で満足するように自分を騙してきた。それが彼らの生き方、生き残る術になってしまった。
(たぶんそうしないと自殺してた人も少なくないだろう。)
DVに気づかない人はこの典型。
殴られても、罵倒されても、それが愛の証や試練や自分の業だと思ったりして自分を騙して受け入れる。
DV彼氏を渡り歩く人もいる。いじめられっこは自分を騙すことでいじめられっこ枠にハマることがある((それがすべてじゃないけど))。
対策は?もちろんある。
自分を騙すことを止めてもらうこと。自分で自分を騙していることに気がついてもらうことだ。
多くの場合、それには時間がかかる。
解決を焦ってはいけない。早急な行動の変化、認識の変化を求めてはいけない。
一般的な社会生活を送れる人と同じ時間感覚で考えてはいけない。
彼ら彼女らは今の自分を誇れない、自分を信じられない位置にいる。
その深みから「自分を騙すな!自分を信じろ!自分を誇れ!」と急浮上させても、
恐ろしく高いピークが一度来るだけで、何かのきっかけによって翼をもがれれば、
その後には今までよりも酷く、想像を絶するほど深い絶望の谷に堕ちることになるだろう。
なにごとも、急激に変化させればかならずしっぺ返しを喰らうのは自然の摂理。
その上で、ゆっくりと、自分を騙すのを止めてもらうんだ。
それさえできれば、後は自力で浮上してくるだろう。彼ら自身のペースで。
時には彼らが手を求めてくることもあるかもしれない。そうしたら助けてやればいい。
敵は「自分を騙す自分」そして「急激な変化を求める心」にある。
それは解決策を求めていない諸氏のみならず、元増田も、そして私自身もそうだ。
自分を騙す必要なんてどこにもない((社会人としては結構あるのが悲しいけどな!))。
それを信じられるようになるまで一緒に見守っていこう。
酔うと頭脳がある意味変な方向に捻じ曲がってるのはわかってるから、
適当な文章でも書いて脳を落ち着けようと、いや暇をつぶそうと思う。
苦しいようでうれしいものですね、ハイテンションとやらは、
そして人は分かってくれなくてよいのですが、
何もかにもが自分に対応してくれない、合致してない気分になってきて、
かまってちゃんになるのがこんなときな気がするんですわ。
うぇうぇうぇwwww
酒やべぇwww顔真っ赤になりすぎるから女の子からは警戒されるし、
普通に気持ち悪いし、
テンションのやり場がなくて、普通に話しがしたいのにそれすらかなわないっていう不思議。
はぁ・・・・・月曜午前授業とってないけど学校行こうかな・・・・。
部活とかも正直めんどいし体疲れるんだけど何もしない退屈の苦痛と比べたら案外たいしたことないのかもしれない。
Mだね。ドMだね。
本当にガチ運動部でなんとかなるとか、なんとかしちゃう人って苦痛キモヂィィイイイの境地をみないと
やってられないからもうMなんだと思う。
みゅうううううう。
時間よ時間。体内エントロピーの流れこと、感じる変化と、流れる意識よ。
僕はもう気持ち悪いのだよ。
あああ、
何の意味もない。
誰かにかまってほしい。寂しい。女の子に相手してほしい。
熊のぷー太郎になりたい。
ほかの解決方法を示せって書いてあったの読んでませんでした。
こういう問題は基本的にはあなたの言及しているような事柄を認識することだと思います。
だから、あなたの言っていることは、正しい事実です。
ですが、本当に解決してあげたいと考えるならばあなたのやるべきことはアドバイスではありません。
本当に必要なのはまず増田自身が心の余裕を持つことのできる環境に投入する・されることです。
これは僕の経験からくる意見ですので全ての場合に当てはまるとは思いませんが、私の場合親から抑圧されて非常に心に余裕を持てていなかった時期があります。
このような精神状態から立ち直ったのは高校の終わりごろですが、保健の先生がなぜか親に「あまり口出しするな」的なことを言ったらしく、勝手に環境が改善されて治癒しました。親いわく「顔が変わった」そうです。
※但し、増田の状況と症状とは少し異なります。病の構造的には似てると思いますが。
だから基本的には環境を整えることが良いと考えます。
ただ、親元を離れろだののアドバイスは的確だとは思いますが、どうせ責任ももてないでしょう。
そういう選択肢もある、という意味程度ならいいかもしれませんが。
では実際問題増田において現実的に何ができるか考えるならば、やるべきことは落ち着ける環境を作り上げること、一言言いたくなるのはわかりますが基本的には共感するコメントを書くことだと思います。せめて見るだけ。
精神的に弱っている人間にアドバイスをするのは一番危険だと思います。
内容よりも、口調やニュアンスのほうを重視した方がいいかもしれません。
殆どの場合は内容なんか問題でありません。なぜなら、精神的に健全である程度思考能力があるなら「強くならんといかん」程度の結論には誰だって至れるからです。
そうでないから問題なのでは?
「強くなりたい」から「強くなるための努力」を「怠惰」という原因でもって成し得てないのならあなたのアドバイスは的確だと思いますよ。
でも僕には怠惰ゆえではないように文章のニュアンスから感じました。
まあニュアンスは実際に話してみないとわからないでしょうが・・・その辺は憶測です。
というのが私の考えです。
怒るとか不快感を表明するってことが未だにうまくできない
ムカっときたらすぐそのまま言いたい事を言える人が羨ましい
どうも素直にそういうことができず、というか反発力がないというのだろうか、そのまま飲み込んでしまうことが多い。
しかしその飲み込んだ怒りをうまく自分の中で消化できるわけでもないので、怒りが腹の中におさまったまま、なんとも居心地の悪い気分になる。
大抵はそのままいつしか忘れるが、
時に相当怒りを感じたときなどは、「なのに言えない」ことや、「一度飲み込んでしまったため、タイミングを逸し、今更言うわけもいかない」ことなどでさらにフラストレーションがたまり、悔し涙が出てきたり、壁を殴りつけたい気分になってくる。
そうした時はとりあえず自分を殴ったりするが、それでもイマイチ収まらない。
結局ぶつける事が一度も出来ていないから、いくらその場を「忘れたり」「殴ったり」で誤魔化しても、ふっと思い出したりしてしまえば元の木阿弥。
出してみようと思ったが、うまいこと出せず、小出しになってしまい、しかも相手にイマイチ伝わらず、寧ろ余計フラストレーションが募った。
子供の時から、嫌なテレビ番組がついていても「嫌だ」と、いえなかった。
「いやだ!見たくない!」といったら親は必ず「なんで」と言うからである。
嫌なものを何故か説明するのは色んな意味で難しい。気恥ずかしいこともあるし単純に言葉で表現し辛いこともある(たとえばバラエティ番組で、無理矢理笑っている感じなどが非常に嫌いだったが、それを言葉で説明しろと言われても困る)。だから「なんで」と聞かれる事自体嫌だったが、それでもとりあえず説明すれば、親は決まって「なんでそんなこと思うの。そんな事思うなんて変」とピシャリとやり、「そんな理由で嫌だと感じるお前は変だ」で終わりだった。ちょっと頑張って「いや、だから……」と更に説明を試みても、かえって火に油。なぜか親はどんどん怒り、「なんでそんな変なこと思うのか。おかしい。考えすぎだ」とカンカンになる。そして怒られて泣きそうになる。
毎度それだったから、そのうち、説明することを諦めるようになった。どうせ説明しても「なんでそんな変なこと思うんだ」で終わりなのである。
説明することを放棄したらしたで、「何故言わないの」とくるので、そのうち「いやだ」といえなくなった。
でもたとえばテレビであれば、見たくないのに、夕飯中についているからどうしても聞こえてしまう。聞きたくないと思えば思うほど聞こえてしまう。といって、「いやだ」と言うことは上記の理由によりできなくなっていたので、ひたすら早くご飯を食べることを考えていた。せっかくの好きなメニューだというのに味わうどころでなく、自分が「いやだ」と上手く言えないせいで、味わえないことが(今になってみれば些細ではあるが子供の時は非常に悲しかった)悔しく、それで更にご飯をおいしく感じられないという悪循環に陥り、ご飯も半ばに自分の部屋に引きこもり悔しさに泣くということが結構あったのである。
何分「なんでそんなこというの!」と怒られる事に何故だか弱く、そういわれると怯えてしまって反射的に涙が出そうになるのだ(実は今でもそうである。泣きたくないのだが、反射的に出てしまうのである。情けないので治したい)。そうして泣いていると更に親は怒る。「なんでそんなことで泣くの!?」自分でも分からない。泣きたくないのに出てくるのでそれが悔しく、更にプラスアルファで悔し涙まで出てくる始末だ。手に負えない。
もしかしたら滅多に泣かない人にはわからないかもしれないが、泣きたくてないているのではなく、これはもう体質としかいいようがないレベルで、ただ反射的に出てくるのである。
しかしそんなことは相手、親には通じないため、泣かない為に、怒られた途端に心の中で歌を歌ったり、他の事を考えることで中和し、なんとか反射的に涙を流さぬよう、落ち着けるように深呼吸をしたりなどし、なんとか泣かないようにしたりしてきた。しかし出てきてしまうものを収めるのはそれでも難しかった。
泣いていると親は「なぜそんなことでなくのか」と怒る為、といって泣いているため説明もできずまた泣き終わった後説明しようとしてもさらに「なんでそんな変なこと思うのか」と怒るため、そのうち親に怒られると自分は自分を守る為、ひたすら謝るようになった。「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」ととにかく言うようになった。
それはそれで「ただ謝ればいいってもんじゃない」「怒ってるんじゃなくて、説明しろといってる!」(といいながら、怒っているように少なくともこちらからは見えた)と言われる。自分は一層被害者ぶることに拍車をかけ、「申し訳ありませんでしたゴメンナサイもうしませんもう一生泣きません」と、大袈裟に謝るようになった。親は更に怒った。
どうすればいいのか分からず「あああああああああああああああ!!!!!!」と爆発しそうになることが何度もあった
そういうときは自室に閉じこもりひたすら壁を殴った。
親に反発はできなかった。
親がそう怒りっぽくなったのも自分がいろいろ迷惑をかけたせいだから
我慢しなきゃいけないと思った
親を憎めば事は早いがそれはしてはいけないんだろうと、それをしたら逃げになると思った。
今でもうまく怒れない。不快感を表明できない。「なんで」と聞かれるのが怖い。
不安な気分は偉大なオクスリの力で解決しちゃおう!レッツショックサイエンス!ケミカルハイ!
ということで、神経科に行ってきた。精神の不調が身体の不調として顕在化されてきたということもあり、そろそろ限界かな、と思っていたのだ。毎日いつどこにいても心が安らぐことがなく、常に緊張していて、息の仕方も分からなくなり、寝ても三時間程で目が覚める。更に人前で話すと顔の筋肉と声がプルプルと奮え出してしまうので、自分の言いたいことも伝えられない。
ああ!こんな僕がこのしがらみだらけの世の中で生きていくにはどうすればよいのだろう!?
そんな時に頼りになるのは他人の上っ面だけの励ましなんかじゃなく、オクスリさ!人格改造マニュアルで培った知識を駆使してお医者様からオクスリを貰うんだ!オクスリを飲んでケミカルな人間になれば僕だってアッパーになれる!もう僕にはクスリしかないんだ!
そうと決まれば作業は緊急を要する。なぜならば次の週にはゼミの個人発表があるからだ。それまでになんとかしてクスリを手に入れないと、皆の前で恥をかき、影で「あいつすげー震えてたよなw」などと噂されてしまうんだ。その事態を回避する為にも、一刻も早く近くにあるクリニックに予約を入れなくてはならない。
「あ、あああ、あの、よ、予約お願いしたいんですが!」
「今大変予約が混み合っておりまして、一番早くて6月の中旬にお取りすることができますが」
…ああ、ストレス大国日本。どこに電話してもここ二週間程は予約でいっぱいだ。生きる気力が沸かないのは僕だけでなく、みんな同じなのか。現代日本の裏側を垣間見た気がして憂鬱になる。
そうして何度も電話をかけていくうちに、今すぐにでも診療可能なクリニックが一つ見つかった。数々の診療場が予約で一杯のなか、ここだけが空いている状態にあるということは不可解だけれど、そうも言っていられない。ホームページを見てみたら物凄くがさつに作られていて更に不安になったけれど、オクスリを貰えるならばどこでも一緒だ。
決意を固めて、自転車を漕いでクリニックへ向かう。BGMは戸川純。
着いたらそこはかなりアングラなところだった。マンションの一室みたいなところでやっていて、ボロいし狭いし、「この場所は明らかに精神に良くないだろ!」と思わずツッコミを入れたくなるようなアングラっぷりだった。…なるほど!だから空いていたのか!
受け付けで手続きを済まし、番号札を渡される。「名前は個人情報なので、お呼びする際には番号で呼ばせていただきます」とのことだったけれど、あまりの狭さのせいで医者の診断の様子が待合室まで筒抜けの所で個人情報も糞もないだろ!と憤怒する。「また薬いっぱい飲んじゃって…」などと聞きたくもない他人の鬱事情が聞こえてきて、こっちまで深く静かに憂鬱になる。
そのうち僕の番号が呼ばれた。カーテンの向こう側へ行くと、なぜか知らないけれど明らかにお医者様は苛立っていて、「お前が精神を落ち着けた方がいいんじゃないか?」と、思わず心の中でツッコミを入れてしまった。なにからなにまで、まるでコントのようだった。症状を吐露したらわりと呆気なくお薬は貰えた。
かくして手に入れたのは精神を落ち着ける薬であるドグマチールとエビリファイ、副作用止めの薬2種類、睡眠薬一種類。一番欲しかったレキソタンは貰えなかったけれど、今日は睡眠薬の偉大さを知りました。
と、いうわけで。
ある日の午前。
少し前に述べたとおり俺が座っている席は窓際であり、そこは春の暖かな日差しに当たりうつらうつらと舟を漕ぎまどろむことができるいわば桃源郷、アルカディアなのであるが、この日の日差しは特に気持ちよくしかもそのときの授業は特に眠気を誘う英語であったもんだから、俺はある意味永久機関と呼んでもいいあの水飲み鳥のごとく首をカクカクさせつつ覚醒と睡眠の間に流れる三途の川を渡す船の上で船頭と渡し賃について押し問答を繰り広げることになってしまった。およそ5分程度すったもんだを続けた末、俺と船頭も何とか渡し賃について合意を得てさあ彼岸に渡らんと意識を手放しかけたとき、それは突然やってきた。
「――――んガっ!?」
いきなり後ろにもンの凄い力で引っ張られたと思ったら後頭部にとてつもない痛みが走った。
「~~~~~ッ、なぁにしやがるっ!?」
おま、打ち所が悪ければ死に至るほど危険な行為だぞ今のは、と憤然とした思いを胸に振り返りそう怒鳴った俺が見たのは、涼宮山ハルヒの――思えば初めて見る――デザートイーグルのマズルフラッシュの瞬間の映像のような笑顔だった。もし笑顔に温度が付随するのだとしたら、重度の火傷を負ってしまっているだろう。
「気が付いたでごわすぅ!!」
……ええい、唾を飛ばすな唾を。何に気が付いたんだ。
「どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのでごわすかなあ!!」
「だから何が!」
「無いんだったら、自分で立ち上げればいいではないでごわすか!!」
「だぁから何を!?」
「――――部活でごわすぅ!」
は。
「……わかった。でもまぁ、取りあえず今は落ち着け」
「ちょっと何でごわすかその冷めた反応は!? もうちょっとおんしもこの発見を喜んでほしいものでごわす!」
「ほれ、今は……」
授業中だから――ってオイ!?
「えー、『One hundred million and two thousand years from now, I has been loving you.』ここの訳し方ですが――」
「せんせー、すいません、そのちょっと前の『Words can't say of th-is time I've been waiting to share my love with you.』の訳がちょっとおかしい気がするんですが」
「え? えーと……ああ! ごめんなさい、正しくは――」
無視かよ!? なんだそれ!? 「涼宮山の相手はオマエに任せるから後はよろしく」って態度の表れかコノヤロウ先生も谷口も国木田も朝倉川もその他諸々のクラスメイトも!?
てかハルヒもほら、俺たち完全にないがしろにされてしまっているんだぞ、ここはさすがに怒るのが正当だと思うんだ俺は。
「――そうでごわすな、授業中でごわした。ちょっとはしゃぎすぎたでごんす。だから授業後に詳しく説明することにしたでごわすから、授業後はそのまま大人しくしているでどすこいよ?」
ええええええスルーか、この状況をスルーか!? もうちょっと反応しろよ、クラス内立ち位置についての危急存亡のとき(俺の)なんだよ!
「部屋…………部屋……うむむ」
ぐう……と、とにかく。
流石に授業中に騒ぐことはダメだと思う心はあるのか、ハルヒは大人しく引き下がり何事かブツブツ呟きながら席についたのだった。
ゲイのオレが来たぜぃ
おい、あんた、ちょっと熱くなっているようだな。
まあ、落ち着けや。
おい、おい、ゲイについて何も知らないくせにゲイを語るのかい?といいたい。
少なくともゲイの3原則くらいは勉強してから出直せといいたいね。
まあ、それは置いておいて。
おれは言ったね、「これはプリンじゃない!とおるくんのうんこだ!」ってね。
結局おれはプリンを口にする事はなかったよ。
だって本当にとおるくんのうんこだと思ってたから。
数年後、おれはコーヒープリンを口にして、なんて上手いんだと思った。
こんなに上手いものを何年も知らずに過ごして来たのはなんて不幸なんだって思った。
まあ、それは置いておいて。
あんたはさ、ゲイの知り合いはいるのかい?
ゲイについて何を知っているんだい。
ピラミッドを見た事がないヤツが、ピラミッドをつまらないと言っても誰も聞いてくれないぜ。
その上で改めてゲイについて語るべきだと思うよ。
来いよ、オレ達のワールドへ。
オレ達のネバーランドへ。
最後に一つだけ、