はてなキーワード: 水伝とは
そういうことは本人に言わないと意味ないと思うけど。
偽科学を批判する人は同じ主張というだけで全部連帯責任おわなきゃいけないの?
それに学問と政治運動を別にするのはどうかと思うが。水伝は公教育でやられたわけでそれを批判するのは学問的な活動でもあるし政治的な活動でもある。
http://anond.hatelabo.jp/20081209215136
これだけじゃなんだから追加する。
そのまえに、これだ。
http://anond.hatelabo.jp/20081209221648
文脈が錯そうしてるからとりあえずエセ科学批判の文脈だけでいうが、あの人たち市民運動としてやってるとは一言もいってない。あくまで学問の範囲、手続きの具体的な話としてエセ科学を取り上げてるって言ってる、まともな人はね。市民運動やりたきゃやっていいけど、じゃあ、エセ科学批判はじつは市民運動でしたって認めてくれよな。
で、本論をもうちょっと追記する。
これが問題なのは、つまり、エセ科学批判の学者たちだって、いろいろ言ってたくせに実は科学の真理性に安易によりかかってモノを言ってただけなんじゃないかってのがバレたって話なんだ。だから、水伝を批判する資格はないとまでこのケースでは書かれてしまう。
分野が違うからって言い訳にならない。それは僕だって法律は分からないけど、だけど法律の専門家のいうことを聞いて、ああこういうことだなって思う。最後は、しょせん素人だから専門家に対する信頼として、たぶんこっちだっていってどちらかを取るんです。ましてエセ科学批判って論理性が大事なんじゃないの? たまたま国籍法改正では、反対運動によりかかるかたちで理屈をくみ上げてしまっただけで、同じこと、エセ科学批判でもやってるんじゃないの?
今すぐ出てこないんだが、こないだはてなで見たのは、本当の科学なり科学者なら信仰しちゃったっていいよみたいな記事をよんだ。まあ、物のいいようだねってのは分かる。そこはまあいい。
でもさ、その本当の科学なり本物の科学者なりって、だれが決めるの?つまり、物事の正しさって最後はそういう形でしか現れなくて、エセ科学批判が考えてるようなものではあり得ない。だってそうでしょ。本当は、正しいと思われるものによりかかってるだけなんだから。バレたじゃん、こうやってさ。そんでこれが正しい正しいって、宗教じゃん、もろに。人文科学がどうのとか、難しい話は何も関係ないよ。
と書くと、もちろん反発を食らうだろうし、まともなエセ科学批判のひとたちのことまでいっているつもりはない。でも、何度でも書きたい。エセ科学批判しているまともな科学者の先生方は、こういうニセ者のエセ科学批判者は堂々と切るべきだ。政治運動ならともかく、学問なんだから。エセ科学批判するほうに、まともな学者って一体どの程度いるんだ。
その上で、今回は本音をはっきり書く。エセ科学なんぞ批判してたって、子供たちの教育はちっともよくならない。そういうところまで視野にいれて批判したいなら、教科書をもっと厚くする、いい先生を増やすと、そういう実際的な問題でがんばったらどうなんだ。悪いけど、意味ないよ。学者がネットでストレス発散にこんなネタで騒いでるだけなんだもん。申し訳ないけどさ。
いや、だから言ってるじゃん。ニセ科学批判側の行動がちょっと行き過ぎになってて、ネット右翼ネット左翼のことも笑えなくなってるって。
http://www.cml-office.org/archive/1228710191201.html
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20081208/1228819928
・・・この人、ホントに科学者なんですかね。ニセ科学については散々ソース出せとか言ってるけど、この件についてはソースすら出してねえというのは。
それはそれ、これはこれって分けられないのは。。。説明する必要、ある? エセ科学批判側が想定しているようなあるべき本当の科学者なら、こんな馬鹿な理解をするはずもないから。いくら分野違いつっても、誤解にほどがある、ほどが。
はっきりいって、「水伝」非難する資格ねえよ。天羽先生。「水伝」よかひでえ。よくこれで理系の先生やってるなというレベル。専門かそうでないかというレベルじゃなくて、論理的な思考ができるかどうかというレベルの問題。
正直、語るに落ちたなという感じ。普段非難してるニセ科学信者の連中と五十歩百歩なんじゃないんですかね。少なくとも俺にはそう見えるんだけど。
全く同感。
ようはさ、何だかんだ理屈こねるけど、科学を絶対的真理だとどっかで誤解してて、それがいろんな言説の支えになってて、あげくのはてにエセ科学批判は市民運動みたいな言われ方までされるんだよ。だからさ、こういう人はとっとと切らないといけないんだよ。エセ科学批判する科学者としてはまとも、とかバカなこと言ってないでさ。周回遅れだのなんだのいって、結局なんにも分かってない、議論が実際に反映されてない、いい証拠だよ。エセ科学批判のまともな先生たちは、ここを反省しなきゃならないんだよって、何回いっても分かってもらえそうにないけどね。
分かってると思うけど、別にラフな場でそういう会話を交わすことを否定するわけじゃないよ。
ただ、公の場でそういうことを前提に何か論拠を組み立てて主張を行うってのは、「杓子定規」とか「趣味の問題」とかいう以前に「最低限のルールを割る行為」でしょ。それこそ「自明」なことではないんだろうか。
あと、水伝については「実験方法とか検証方法自体が誤ってるから科学的に正しくない」という話なんじゃないの。「追試しろ」とか粘着してた奴がいるなら、それはそもそもお門違いな主張ってことで片付くように思うが。
まぁ、これ以上は水掛け論ぽいし、俺の言いたいことは大体こういうことって事で簡便してくれ。
いやぁ、そう見えるかもしれないけど、その増田は「読むに値しないものは(実際に物理的に)目を通そうとする必要はない、なぜなら、読むに値しないからだ」という不思議な循環論法をずっと続けていて、それを批判してるんだけどね。それは、「読むに値しない」という言葉の用法にダブスタがあるからだ、というのが俺の考察(下の引用の2番目の奴ね)。
俺がどうしても突っ込みたいのは「稚拙なものはろくに目を通さずに批判しても構わない」というロジックについて。水伝や例の本が実際に稚拙な内容かどうかは、少なくとも俺は問題にしていない。
だから「証明」なんてしてないっての。する必要もないだろ。
早い話、水伝が読むに値しないってことは読まずとも断片的な記述からでもわかるから論じないとして、むしろ水伝のようなものがなぜ受け入れられるかについて論じたい、という立場はあるはずだ。
どうしてその程度のことがわからないのか不思議でならん。
↓
「この服は賢い人間には見えるけど馬鹿には見えません。賢ければ見えるので見えない奴が馬鹿なだけです。故に私の言うことが正しいのは自明です」
ワザとか天然なのか知らないが、君は自分が「読むに値しない」って言葉を
という二重の意味でなぜか使っていて、場合によって都合よく使い分けていることに気づいているだろうか。
もっともっぽい言い方されると、すぐ信じてしまうんよね。
南京大虐殺はなかったとか
国籍法改正はやばいとか
水に声をかけても綺麗に結晶しないとか
コナン=新一とか
いろんなことを一度は信じてみたけど、結局、真偽が分からない。
ホットな話題に乗っかってしまっているだけで、ひとつも真実には近づいていない。
真実よりも「読んで安心できる」情報を自分で選んでしまっているのかもしれない。
まさにこれこそ愚民の特徴ではないだろうか。
水伝の信奉者を馬鹿にしていたけれど、自分の思考を持たない自分も、同じことである。
自分が自分の意思と思考を持てるように、本を読むようにしているが、
結局、その本の言説にただ乗っかってしまって、成長が全く無い。
今の何も見えていない自分が情けなくて仕方がない。
内田樹先生の日教組の”影響”と言論の自由についてで思ったんだが
先天的才能や後天的な努力や「もののはずみ」でその影響が簡単に払拭しうるものであるならば、日教組のイデオロギー的バイアスは論ずるに足るほどの力を持っていなかったということになる。
とりあえずその場にいた全員は自分たちは「日教組の教育」からまったく影響を受けていないということを前提にしゃべっていた。
私はその前提でよろしいかと思う。
これが正しいとすれば例えば小学校の道徳の授業で水伝を教えても、「水伝を教えるダメな授業」を受けた“全て”の子供の科学知識が致命的に損なわれて支離滅裂になるとは考えづらいので、影響を簡単に払拭できるからかまわないってことになる。
理科の授業で教えるのはさすがにまずい気がするけど、ビリーバーの素質が高い人以外は中学高校と進んでいくうちに明らかに間違いだと分かるので、影響を簡単に払拭できるとも言える。
これってやっぱりちょっと変じゃないか?
> まして、今回の話題はあまりにもアレだ。水伝を批判するために水伝の本を読む必要があるか?
「批判するため」ならあるに決まってるだろうに。何を言ってるんだこの人は。
でも、小学校でもっともらしく水伝教えてたのはゆとり世代よりはるか以前の先生たちなわけで。今よりいい教育をうけていたはずなのにこれでは、実は古い教育を受けた世代のほうがゆとり脳以下になっているんじゃないか。我々含めて。でないと、説明がつかない。
医療ミスがおこるとリソース不足を指摘せずに精神力で知恵を絞れみたいな議論になるのと同じで、教育だって本当はとうにリソース不足に陥っているのに、学校の先生は公務員だからみたいな感じで批判し続けた結果、こんなことになってるんじゃないか。
これで、本当にゆとり世代をゆとりといってバカにできるのだろうか。科学者たちはエセ科学をせせら笑うけど、人文学にだってウソ欺瞞エセ真理がはびこっているのに、なんとも言わない。言わない理由も分かるけど、でもそれで本当にいいのだろうか。なんか違うんじゃないか。
本当にゆとり世代をぼくたちはバカにできるんだろうか。
奇麗な理想を語るのに「で、実践は?」と問われてからアタフタと実績を取り出すような姑息な人の話に魅力を感じるのは、水伝を信じるより難しい。
少なくとも、Romanceは今年の3月の時点で、実践的活動をしてることは公言して
たよ。http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080309#p1
と、ここで余談ですが、私の中で今「貧困問題」「野宿者問題」はすごく重要なテーマになってます。
私の個人的な研究テーマは「弱者問題を利用する俗流道徳の自己欺瞞」なので、弱者問題について広汎に興味は持ってました。去年、たまたま『ルポ最底辺―不安定就労と野宿』(生田武志著、ちくま新書)という本を読んで、ホームレスに対する偏見のすごさと、彼らがいかに悲惨な境遇にあるかを知り、結構ショックを受けました。それをきっかけに地元のホームレス支援団体にボランティアとして参加することにして、実際に野宿者の巡回をして話聞いたりしてます。まだまだ参加したばっかりで偉そうなこと言えないんだけど。。。
貧困問題についての本も読みまくってます。。。
Romanceに「現実見えてない」なんて筋違いの批判してたやつは、「現実知ってたらホームレスなんて支援できるわけがない。支援してるのは何か裏があるはず」なんて、偏見持ってたんだろうな。
その「現実」ってのが、単に自分の内面を他者に投影してるだけなのが惨めだね。
「俺はホームレスなんて支援しようなんて思わない人間なんだから、みんなそうに違いない。みんなそう思ってるはずなんだから、倫理的にどうこう言われる筋合いはない」っていうふうに。
いまさらなんだけどさ。
私は、野宿者支援団体に所属して夜回り活動やってるんだけど。小便垂れ流しで道端に倒れてる糖尿病の野宿者に肩貸して車に乗せて福祉施設に引き継いだりしてるんだけど。
の書きぶりと
http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080830#20080830f5
を比べたとき、違和感ありありだよね。
今さらこんな事言うのは、今回のホームレス論争でかなりはてサの皆さんに失望したから。
純粋に「ホームレスに人権なんかない」とかぬかす奴らがムカついたから。必死になって生きてる人に向かって「お前らに生きていく資格ない」と言うような無神経な奴らになんか言いたかった。俺増田が書くことなんて大した事ないだろうけど、頑張ってなんか書こうと思った。
だからいっぱいromった。 はてサの皆さんのダイアリーやブクマのコメントやハイクのポストを中心にホームレス論争に関わるものをいっぱいromった。
だけどそこにあったのは、失望でしかなかった。
ブクマのコメントやハイクのポストに「頭が悪い」「頭がいたい」「死ねばいいのに」「差別クズ」などと書く人から、人権だの平等などを説かれてもミジンコ程の説得力もない。
奇麗な理想を語るのに「で、実践は?」と問われてからアタフタと実績を取り出すような姑息な人の話に魅力を感じるのは、水伝を信じるより難しい。
セルクマのタグに自分で「完璧」とかつける人が説く社会福祉論を信じるのは、上祐の布教に帰依するぐらい難しい。
はてサの皆さんが垂れ流しているのは、「自分が正しい。ねぇ、そうでしょう? おれってこんなに賢くて正しいんだよ」という子供じみたナルシズムでしかない。
そのナルシズムに同調しない人を「頭が悪い」「差別クズ」と罵るあの態度は、「ホームレスに人権なんてない」と言い放つのと同じぐらい、とても醜いとおもうんだ。
ほんとうに今回は失望したよ。
そこで水伝とか出されると反応しちゃうな。
先ず、水伝だのスピリチュアルだのは、非科学というより似非科学、ニセ科学というべきです。あれらが悪いのは非科学である事ではなく、科学を装って人を騙すことです。そのあたりを忘れてはなりません。非科学が悪ではないのですから。
次に、「女が男に勝てないのは母性が原因」が非科学か、ですが、確かに科学的ではないかもしれません。勝つとはどういうことなのか、母性とは何なのか、原因と断じて良いのか、等〃あります。しかし、別に科学的な話をしているわけではないのでかまわないでしょう。さらに、この一節は、数多の文を増田が単純化に過ぎず、そもそも正しいのかが疑問ですから。
最後に、「性染色体が精神に影響を及ぼす」というのは間違いではないと思います。しかし、精神は後天的影響が大きいという部分もあります。そしてその両者を明確に区分することは困難ですし、区別をなくすことも困難です。したがって、性別も文化と同じく、相手と結果を見比べながらお互い尊重しあうしかないと思います。
随分前に図書館に行ったとき、おすすめ図書としておいてあったことをふと思い出した。
ああこれか!と思ったが、手にとるのも面倒だったのでスルーした。
ほとんど追ってないのだが、よくわからんの一言。
似非科学の例としてあまり適当でないなんて今ごろ気がつくほどのことか?
ブログで引用されたところしかしらないけど、がちでつっつくものでもないし、毛色が違いすぎる。
作者がガチで科学的だと信じているなら別だけど、たぶん違うだろう。
「明日は遠足の日です。明日晴れるように、おうちに帰ったらてるてる坊主を軒下につるしておきましょう!」
なんてのも似非科学だとは思うけど、つっこむのはあまりに無粋すぎる。そういうもんだと思っていたのだが。
まず、タイトルと本文冒頭それぞれに、結論をはっきり、書いてください。
今、お願いしたいことはただこの一点だけです。読解が苦手な人にはっきりと内容を伝えるために意識してみて欲しいという要望です。
何よりまず最初に、記事の趣旨を明確に示してから内容に入ってください。できれば、強調表記を活用したり、一行あけるなどして、できるだけ目立つようにしてくださると助かります。さらに、読点で大事なフレーズを浮かび上がらせて頂ければ、言うことなしです。
これまで身の回りで、いろんな方の記事を紹介させていただいているのですが、驚くほど連敗中です。皆さんの記事の思惑とは全く逆に、引用されているトンデモの内容に感心して引き込まれ、皮肉なことに問題のある部分が記憶に刷り込まれてしまっています。もちろん後から解説を入れていますが、もはやそれも聞き流されてしまいます。なぜなら、先に読んだ文章(引用元)が流し読みでも分かるくらい(主張が)汲み取り易い余りに、後に続く批判部分が堅苦しく見えて、読み辛さが際立ってしまうからです。理解の前に、拒絶反応を引き起こすのです。そして意味不明なままに、つまらないから興味が湧かないのです。
「批判、堅苦しい文章」=「意味不明」=「つまんない」
間違っていると否定されることは、それだけでは答えを与えてくれません。なので、批判的な内容を受け付けない感情を抱くのも当然で、何より自分が不安な気持ちになるくらいならば、分り易い方におもねるのです。
「つまんない」=「不安」
ですから、可能であれば、批判や誤りの指摘に加えて、安心感を与えるようなプラスαがあるだけでも、随分印象が変わります。
拙いですが、例えば水伝。
というのではなく、
「美しい」って単純に言うけれどね、「美しいと思う形」を描かせたとき、皆が皆、まるで印刷したように幾何学的模様しか描かないのと、本当に一人一人が自由に様々な形を描いているのと、どちらが美しいと感じられるだろう?
というような導きのあるものが理想だろうと考えます。
引用元の内容(批判する対象)を先に置かないようにしてください。問題点の指摘や結論を後ろに持っていかないでください。その記事で取り上げているようなトンデモ理論を信じてしまう人というのは、決して記事を最後まで読みません。タイトルも理解しません。そもそも文章を読解していません。文脈などまるっきり無視で、目に入る単語の中から自分が直感的に理解できる語句のみ拾っています。画数の多い漢字の連続はそれだけで流されます、数字の羅列も3桁以上になると見えなくなります。語感の良い言葉だけが頭に残り、さらに、それを自分にとって心地良くなるように組み替えて脳内に記録します。
婉曲な表現や皮肉、文末の省略などを避けてください。
ここまではっきり書かないと、通じないのです。
このような表現は無視されやすくなります。
否定的なものを受け入れられないのは、言い換えると、悪い意味でのポジティブ思考です。「否定されていない」=「肯定」という発想です。安心を欲している人に、婉曲な言い回し、持って回った表現はほぼ通じません。何度も同じことを書かれている間に、恐らく無意識だろうと思われるのですが、いつの間にか遠回しな表現が表れます。
「遠回しな言い方をしない」でなく「はっきりと言う」
このくらい直接的な表現を意識してくださって、やっと、丁度良い塩梅です。
ライフハック的な記事が受けているように、
「こういう理由で、ここがおかしい」→「引用元」
といった形でリスト化されていると、活用のチャンスが増えて大変ありがたいです。
箇条書きで要旨をまとめてくださるのでも十分です。しかし、本編抜きにリストや箇条書きを読ませるだけでは、これも正しく読まれません。簡潔にまとめられたものは
「素っ気無い」=「優しくない」=「易しくない」=「つまんない」
なのです。ですので、二度手間でも、敢えてもう一度記事の最後にまとめをおいてくださると効果的なようです。ただし、この箇条書きの中でも、主題がトップにくるようにアレンジをお願いします。
「トンデモ」を批判する記事を書く皆さんにお願い。
『結論を最初に』
タイトルと本文冒頭に、結論をはっきり、書いてください。
他、
以上です。ちょっと身近なところでのショックな「理解の溝」体験から、このようなことを考えさせられてしまいました。ここまでお付き合い下さいました皆さんに御礼申し上げます。
添削してくださった方、レスポンス下さった皆様、有り難うございました。
ご指摘の点やご意見はどれも、尤もなことと頷けるものばかりで、大変参考になります。
ここに書いたのは、私自身、この内容に不完全さや危うさを感じていたためで、このような形で人目に晒すことで、見落としている点を洗い出したいとの思いからでした。ここで得られたものを、実践の場へ還元できるように、より理想に近い例が作れるように努力してまいります。
いい加減にしろ。
とうとうAとかBとか言い出した。問いに対する直接な返答のない、君のプライドを取り繕うだけの形式議論には付き合いたくないんだけど。
人の言ったことを馬鹿な方向に歪めて脳内補完した前提の問いになんか答えたら話の方向が見えなくなるだけだろうが。一応答えてやったら答えてやったで、あんたは「やっぱりこいつは馬鹿だった」と一人で納得するだけみたいだしさ。
俺はそういう風に「いかなる手段を用いても勝つ」術に極めて疎いのは確かなので、だったら話を整理するしかなかろうよ。
いや、相手が出した問いには答えようよ。クリティカルな問いを全部無視して、見た目新しい論点を次々展開し続ければそれで勝利ですか?
自己紹介乙!
クリティカルじゃないから無視してんだよ。一つの例示の挙げ足を取って枝葉末節に誘導するのがあんたのやり方みたいだからその手には乗らないということだ。
それ以上君は何を望んでるんだ?
何のためにだ?君の論点は少なくともこの場は認めると言ってるんだ。それでその問いをする必要はなくなったはずだ。
例えば、近代以前の知識人の書いたものを元々の形で読もうと思ったら古語の知識がいるだろう。その中には、例えば宗教的に価値のあるものもあるから、一般人レベルでも有用になることもあるだろう。そんな感じで攻めることは出来るんじゃない?
お前が言うな!日本文化は役に立たない、欧米様は素晴らしいという人間にそんな理屈を説いたら、さらに折伏にかかってくるに決まってるだろうが。
別に何語でもいいけど、今はデファクトスタンダードで英語ってだけだろ?
「教養」の話でデファクトスタンダードにとりあえず乗れと言ったら一人で血圧上げたのはどこの誰だ?
植民地支配と侵略戦争をたかだか五十年でやめた日本人は、五百年続けてきた西欧人の十倍賢いのかね。それとも、西欧に学ぶためにあと四百五十年虐殺しろっていうのかね。
うひゃひゃ、バカだバカだ。ごめん、その方面は相手し切れんわw
なに言ってんだか。お前が「その方面」に持ち込んだんだろ。あんたが、何を言っても欧米様は素晴らしい、日本はダメだというその論法、「日本は素晴らしい、特定アジアはダメだ」というのと同じだということに気付け。わかりやすく論法の破綻を指摘してやると、俺が馬鹿だということにするんだからなあ。
俺の専門分野で、(ダメな)東大生に勝る仕事をしてるからなあ。優秀な東大生には負けるかもしれんが、優秀な高卒にも負けるからあんまり関係ないし。
一応あんたの言うことが客観的に妥当だと仮定して話すが、優秀な高卒に負ける分野ってのはつまり予備知識があまりなくても対等に戦える分野、俗っぽく言えば「学歴」より「地頭」がものをいう分野なんだよ。たまたまあんたがそういう分野にいるというだけだ。全ての分野がそうだと思うなよ。
あのさ、別になんの工夫もしなくても、日本に一杯ある大学のどこかは日本トップなんだよ? だから、東大レベルの教育ってのは、いつでも東大レベルなんだよ。
「日本トップ」なんて限定は誰がしたか。世界レベルの話をしてるんだろうが。MITって言ったのはどこの誰だ、ボケ。お前はいつもそれだ。相手の言ったことを矮小化し、その上で馬鹿にする。感情を逆撫でする方法としては賢明な手段だな。
ほら、勝手に知らないことにしてる。ちょっと話に乗ってやるとすぐこれだ。理系の人間ならFortranぐらい誰でも知ってるわ、ボケ。
だからあんたの質問には答えたくないんだよ。勝手にそうやってどっかから話を捏造するから。あんたの話は歴史修正主義者とか水伝とかカルトとかそういう方向の奴と同じで、無理矢理自分の土俵に引きずり込んで挙げ足とって自分の教義を演説するってやつだからな。
たかぎFさんのブックマークはこちらの方が良いのでは?→http://del.icio.us/cactus_f/pseudoscience
このリストの発端というべき所も必要でしょう。
そして田崎さんと共にニセ科学御三家のきくちさん、apjさんの所。
11月25日 「水からの伝言」よくある誤解 【kikulog】
11月13日 水伝:科学だけの問題ではない :: 事象の地平線::---Event Horizon--- 【 事象の地平線::---Event Horizon--- 】
ニセ科学でこのお二人を追うならそれ用のカテゴリが良いでしょう。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?catno=3
もう一つ、例のきくちさんのやつも外せないような気がする。
12月20日はてなブックマーク - YouTube - 視点・論点「まん延するニセ科学」 いまはこっちはてなブックマーク - YouTube - まん延するニセ科学
あと、これ関連は3つのカテゴリにわかれる、という事をまずは知っておいた方が良い気がする。
細かい所をいえば、信じている人も、立場上信じている人と、心から信じている(たい)人にわかれる。
これからニセ科学批判に言及しようとする人のために、先人の足あとを集めてみました。
◎マークは続き記事あり。いつもの彼がコメントしている記事も多いので一応注意を。
8月24日 「水からの伝言」への批判が増えてます 【誘いの果実】
8月17日 分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか◎ 【技術系サラリーマンの交差点】
7月27日 水伝は現代科学に風穴を開ける突破口になるか◎ 【hasenkaのメモ】
6月20日 ありがとうの方がうれしいじゃない 【整体師のでこぼこ日記】
6月19日 水、結晶、ニセ科学、そして否定 【「断想」 _since 2004】
6月3日 いまいちど認識をあらためる時だ◎ 【アルバトロス海溝 D島改】
6月2日 ボクは血液型マニア◎? 【なんちゃってサラリーマンの独り言】
3月24日 ニセ科学、疑似科学論議よりも具体的な批判を◎ 【― ブログ・発見の「発見」/科学と言葉 ― 科学上の発見から「意味」を発見】
3月20日 なぜエセ科学をネタとして採り上げる方々は「タバコ有害論」を採り上げないの?◎ 【uumin3の日記】
3月2日 書評 - 水はなんにも知らないよ 【404 Blog Not Found】
2月15日 血液型性格診断について小考察ver.2-daily◎ 【うろぶろぐ】
2月14日 ニセ科学を糾弾する人は科学で解明されないもののうち、何を信じているのだろう 【DELICIOUS LIFE】
1月30日 科学とニセ科学◎ 【Intersecting Voice Cafe】
1月12日 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか◎? 【煩悩是道場】
12月28日 ニセ科学 【管理ポスト(VIDI AUDIVI LEGI)】
12月28日 年またぎ企画:コミュ論05-11「マスメディア+ブログの時代」(その1) 【アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)】
12月24日 道徳やしつけの根拠は自然科学にある◎ 【404 Blog Not Found】
12月18日 科学って一体なんだろうな◎ 【上を向いて歩いていくブログ】
12月11日 水の件 【Walk in the Spirit - 楽天ブログ】
11月13日 水からの伝言を信じないでくださいに含まれる科学的に見えて非科学的な部分。◎ 【レビログ】
11月11日 『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?◎ 【音極道茶室】
11月9日 「「水からの伝言」を信じないでください」を信じないでください」◎ 【ゲームの為なら女房も泣かす】
収集元はpoohさんのところとTAKESANさんのところ。
もっと気になる人はたかぎFさんのブックマークをどうぞ。
他にもあったら教えてください。間違いとかも。