はてなキーワード: 普通科とは
わざわざ無理して私立高校に行かなくていいと思う。
公立にいくのもよし、夜学の高校だっていいし、工業科でも商業科でもいいし、高専だっていい。高校行かずに大検うけて大学に入ったっていいし、職業能力開発校で手に職つけるのもよい。
義務教育じゃないということは均質でなくていいよ、多様性を認めますよということだと思う。
全日制普通科以外を色眼鏡でみる多様性を認めない風潮こそが悪だと思うし、そんな風潮を助長するために私学助成を続けろという意見にはとうてい賛成できない。
そろそろ、全体が均質な中流意識をもち「人並み」な生活できるなんて悪平等を貫けるほどの余裕が日本にはなくなっていることに気づかなくてはいけない。
全日制の大学には一回行って「なんか違うんじゃね?」って思って辞めたんだろ?
もういいじゃん。充分じゃん。
今勉強したいことも特にないなら放送大学行って見つければいいじゃん。大卒・学士の資格だけまずは取ればいいじゃん。で、面白い分野とか講義を聞いてみたい教授が見つかったら、それから全日制の大学行き直せばいいじゃん。高校じゃないんだから大学なんか何回でも入り直せるだろ。
それともあれか?そういうこと言うと「まあ放送大学で資格だけっていうのも何か違うっていうか」「放送で4年、更に行き直して4年だと時間と金がかかりすぎて現実的じゃないっていうか」とか言い訳すんのか?人生の時間とか無限にあるとか勘違いしてないか?それとも
って言って欲しいだけなの?
年取ってから職辞めて全日制の普通科高校に行き直した人知ってるよ。多分あんたと同じで理由は「プライド」だけだった。
半年持たなかった。
じきにニートみたくなった。
その後どうなったんだか知らない。
半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。
基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。
幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。
(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)
家から歩いて3分のその幼稚園は仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。
年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。
小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。
その小学校はクラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生にありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。
ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。
だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。
3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。
小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビを家族で注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路の映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。
そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。
でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。
クラブ活動の上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスがうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。
中3のとき、サカキバラ事件。犯人は中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。
だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生か高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人(浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。
高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライドで普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。
そういえばこの高校、最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。
なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。
最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ。
そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)
懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長に立候補したけど落選した。
しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。
会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。
次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。
豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。
大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。
代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。
唯一できた友達がS価高校出身の子。
「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
どんな会話だ。
そういえば代ゼミで私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。
「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」
「じゃあなんで医学部行くんだよ」
「元手を稼ぐためだよ」
とか、
「そんな大学あったっけ?」
「医科歯科大だよ」
「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」
テレビ見てたらビルに飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。
で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。
話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。
「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。
続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)
ちなみに164*51*16です(一応書いてみた。)
今の10代のガチホモサンプル1としてご覧ください。
皆さんの回答に共感したり、「自分とはちがうな」なんて思ったり、楽しく拝見させていただきました。
http://anond.hatelabo.jp/20070924223542
http://anond.hatelabo.jp/20070925183312
http://anond.hatelabo.jp/20070925210641
http://anond.hatelabo.jp/20070926021607
http://anond.hatelabo.jp/20071001013310
■ゲイ一般
Q1. 「気持ち悪!俺を襲ったりするなよ〜。」
ぶっちゃけ、ホモがみんな見境ないとか思われてるのはうんざりなんです。
みなさんが書いてらっしゃるように、タイプでもないノンケには欲情しません。
Q2. 「オネエ」のような言葉遣いするの?
自分はしない。
オネエさま自体には嫌悪感はないです。むしろ友達になりたいかも(笑)
ただ、ノンケ男特有の荒っぽい言葉遣いとかはあまりしないかも。
Q3. 「ホモ」は差別用語だから「ゲイ」って言うべきですよね?
ぶっちゃけあまり気にしないけど、バカにした感じで言われるのは傷つく。
Q4. ゲイの人には芸術とかファッションのセンスのいい人が多いよね?
そう?
でもファッションに関して言うと、ノンケのように普段の生活の中に出会いがあるってわけじゃないから、自分の状態を常に最高にしておくという意味で気を遣う人は多いかもね。
芸術に関してはどうだろう。
自分は美術とか苦手だからなぁ。
メディアでは文化人ゲイの方が多いから、そういった考えが起こるんでしょうかね。
■自分個人について
これは学校ってことで解釈しますね。
共学の普通科に通ってます。
学校の人にはバレてないです。
バレたら死ねるかも(笑)
Q6. カミングアウトしてないの?
してない。
カミングアウトしたからっていって周りの人間からの理解や協力が得られるわけでもないし、両親や兄弟はゲイの人がテレビに出てるとあからさまに気持ち悪がるし。
友達にもしてません。
辛いなぁ…(笑)
Q7. 女の子には興味ないの?
ない。
友達としてなら全然OKだけど。
なんかグロいなぁと思う。
いや、ない(笑)
ちょっと年齢が離れすぎ。
山本太郎は好き。
Q9. 十代の頃はどういう性生活してた?
今現在の話ですね。
出会い系(って言い方はおかしいか)で何人かと知り合って話したりしてます。
ノンケ相手に恋に落ちるとかはないです。
性生活かぁ…。
ゲイの友人はいるんだけど、あくまで友人ですから…。
Q10. ガチホモの老後はどうなるの?
どうだろう。
まだよくわからないけど、1人で死んでいくんじゃないかな。
10代のうちから悲観的過ぎますかね(笑)
まぁ、恋人と一緒に老後迎えられたらな…なんて淡い期待を抱いてます。
はい、以上です。
最後まで見てくださった方々、ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649の続き。
何だかえらい数のブックマークが付いていて驚いた。色々なコメントを頂いたが、どれも面白かった。それを読みながら考えたことがあるので、蛇足だろうけど少し書いてみる。
もし仮に、私が高校生のときに自分自身の文章を読んだとして、今の自分よりも賢い人生を送れる自信は無い。むしろ、軽く聞き流して忘れてしまう可能性のほうが高いように思う。自分がハーバード?MIT?寝言にしたって恥ずかしいくらい現実味の無い話だ。別世間の苦労話を聞かされたところで、せいぜい世の中広いのねと思うくらいのものだろう。
実のところ、似たような話をしたのはこれが初めてではない。大学生に話したことも何度かある。留学を既に考えている学生には大いにウケたが、そうでない学生からの反応は薄かった。特に複数の学生に同時に話した時には大概うまくいかなかった。誰かが「すごいけど俺には無理っすよ」と言うと、あっという間にその空気がグループ全体に伝播していく。「俺たちには無理ですよ」という言葉を使った奴すらいた。恐らく、仲間からの賛同の言葉を待っている。多分無意識のうちに。それは仲間関係の確認であると同時に、自分のいる階級の自己修復でもある。それが社会に縛られると言うことでもある。このセリフが出たらもう手遅れだ。彼らはもう意識のなかでこちらの話を「あり得べき現実として想像すべくも無い別世界のエピソード」として切り離してしまっている。何を話しても、それはエンターテインメント以上にはならない。それでも情報が頭の片隅に残る分だけ、まだマシだろうと思ってしゃべるのだが。
前のエントリーで、先生の言葉で普通科から国立大に進んだ話にTBを送った。これは半ば確信を持って言うのだが、この先生は他にも何人もの生徒に大学進学を勧め、そしてその大半からあっさりと断られていると思う。「大学に行ってもしょうがない」「息子をそんなところに行かせても遊びほうけるだけだから」「別に俺も大学でやりたいことなんてねーし」。上では友人の間で行われた「階級の再確認」が、ここでは親子の間で行われていく。大学に行くと言うことを想像できないのだからしょうがない。後はその「大学に行くなんてあり得ない」という気分を補強する言い訳を見つけてくるだけだ。この世の中、大学に行くメリットもデメリットも、情報は腐るほど供給されているが、もうデメリットの部分にしか目が行かなくなる。私が本屋で留学ガイドをあっさりとスルーしたのと何も変わらない。そういえば私も「留学なんて、暇と金があっておつむの弱い女子大生が語学留学に行ってるだけでしょ」とか思っていた。
結局、私が何がしかの想像力を身につけられたのは、就職して「留学なんて当たり前」と言う空気に触れてからだった。留学経験がある上司も後輩も、それが特に話題にならないほどたくさんいた。そして彼らはもちろんみな優秀だったが、目がふたつ、鼻の穴もふたつある普通の人間だったし、能力的にも絶望的な差があるとまでは感じなかった。私が留学の可能性というちっぽけな「想像力」を手に入れるためには、そんなイニシエーションが必要だった。(もちろん、そこまでのイニシエーションを必要としない人もたくさんいるのだろうが。そういう人は素直に尊敬する。)
世の中には社会が無数にあって、その中で人々は想像力を縛りあっている。仲の良い友達、子供思いの親、そんな全てが想像力を縛る。私にはそれこそ想像も付かないが、親が両方ノーベル賞を取っていたり、親が両方プロのアスリートだったりすれば、また別の方向に想像力は縛られていくだろう(それが幸せなことかどうかは知らない)。プロのピアニストとか、そういう縛りがないと辿り着けない世界だってある。その想像力の縛りが格差となって現れることは前回書いた(というか、この人が書いた)。だから、世の中には格差が無数に存在する。それに、この格差が上流から下流まできれいに並んでいるわけじゃない。ピアニストを親に持ち、4歳から英才教育を受けた子供に、もし天賦の才能が欠けていたとしたら、その子供は必ずしも幸せとはいえない。普通に受験していたら高給取りになれたかもしれないのに(その頃には、本人自身そういう生き方に興味を持たない育ち方をしているだろうが)。
そうして生まれる格差のほとんどは「社会問題」としては認知されない。イェールの学生がハーバードに対して感じた格差は救済の対象にはならないし、私の知った格差を救済してほしいなどと考えたことも無い。ブックマークのコメントにもあったが、救済の対象になる格差は低所得者との間に存在する格差だけだ。つまり、最近盛り上がっている議論は「格差」についての議論じゃない。皆が議論しているのは「貧困」だ(貧困を相対的なものと捉えるならば、これは「低所得者と中産階級間に存在する所得格差」と同義となるが)。ブックマークのコメントで「今の議論とは関係ない気がする」というコメントがいくつかあったが、これは私が「格差」という言葉を一般的な定義で使ったのに対し、多くの議論では貧困の同義語(より狭義の格差)として使っているからだ。
「それなら関係ない話にTBするな」と言われそうだが、それでも前のエントリーを書いたのは、想像力の縛りが格差を生む、というメカニズム自体は貧困の話にもそのまま使えると思ったからだ(貧困は格差の一種と考えるなら、当然そうなる。ただし、所得格差の一部は想像力とは関係なく発生するが)。貧乏人は合理的じゃないかもしれない、という記事をこの文脈で考えてみてもいい。それなら、貧困ではないけれど格差に直面して得た経験と自分なりの結論は、ある程度の普遍性を持っているかもしれない。そう考えたからあのエントリーを書いた。もちろん、救済の対象にはならない様々な格差(特に、留学に関する格差)に直面している人たちにも届けたかった。役に立つかどうかは分からない。それは個々の読み手に判断してもらいたい。
====================以下、想像力とは関係ない話============================
ブックマークに付いたコメントはどれも面白かったし、納得できるものも多かった。ただ、『個々人の人生のサバイバル術と社会問題をまぜるな』というコメントに賛同が多かったのは気になった。私は個々人の生き方は周りの社会の在り様にどうしても左右されてしまうと信じている。それは個々人のレベルではどうしようもない。だからその中でベストを尽くすしかないと書いた。だからそれを持って「混ぜている」と言われているのなら、そうですか、としか言えない(何が悪いのか分からない)。
どうもよく分からないので、同じ人の書いたエントリーを読むと、大上段の議論をしていない(否定しているかのように見える?)のが問題視されているようにも見える。だが、むしろ、議論の視点として『個々人の人生のサバイバル術と社会問題をまぜるな』というのは、私が他のいくつかのエントリーを見たときに感じたことでもある。
個々の例からは個々の含意しか得られない。私が先週下痢で苦しんでいたのは、私と診てもらったお医者さんにとっては問題だが、社会問題じゃない。でも、もし市内の住民の3割が同時に下痢になったら、それは社会問題だ。市役所が税金を使って防疫したり、隔離したり、予防措置をとったりすることになる。このふたつは全く次元が違う。私個人の下痢についての経験から「あの果物は日本人には合わないから止めておけ」とは言える。けど、市役所のワクチン投与プログラムの策定について私の下痢は何も語らない。だから、私個人の経験談によって成り立つ話は、「問題のある社会に住む個人の生き方」以外の結論にはたどり着かない。大上段の話には繋がりようが無い。
むしろ私は、個々の「不幸な話」を持ってきて、そこから「格差社会」を語ってしまうケースが多いことの方が気になる。もし社会を語るのであれば、少なくとも特定の「不幸な話」がその社会である程度の普遍性を持っていることを示すべきだ。それから、救済の対象が特定の個人なのか社会なのかもはっきりとさせた方がいい。格差社会を解消しようとする試みが、冒頭の特定の不幸な人の救済につながるとは限らないからだ。前の例でいけば、もし住民の3割が罹患したのがたちの悪い伝染病なら、市役所がすべきことは患者を一箇所に隔離してそれ以上の伝染を抑えることだ。その結果、隔離された患者は孤独のうちに死んでいくかもしれない。患者を救うことと社会を救うことは違う。
両方を同時に救うことが可能だと言う前提に立つのなら、個々の議論と社会の議論を混ぜてもかまわない。ただ、そう主張するなら、それなりに丁寧で具体的な説明が求められると思う。そうでないのなら、大上段の議論の根幹に経験談を持ってくるのは余りお勧めできない(あくまでも一例に過ぎないことを明示しないと議論がずれやすい。統計とかを使ったほうが議論としては分かりやすくなると思う)。
その辺りのフレームワークをおざなりにしたまま議論をしようとしても、「世の中にはかわいそうな人たちがいる」「この社会が間違ってる」と悲憤慷慨する以上には議論が進展しない気がする。
それは個人に責任を押しつける結果にしかならないと思うんだけど、
ただまあ確かに当事者としての貧乏人に何ができるかっていうと、
選挙に行っても明日すぐに楽になるわけでなし、
明るく生きることを考えたり、這いあがろうと努力したりしかなくて、というのはあると思う。
自分の話。
親はブルーカラーの労働者で、まあ極貧とまでは行かないけど、生活は苦しかった。
早く商業高校でも出て自分で稼いで、好きなことにお金を使いたかった。うまいものを食いたかった。
だけど僕の高校進学のことで中学の先生と三者面談をしたときに、先生が親に「普通科へ行かせてやってくれ」と言いだした。
僕も親も、高卒で就職することしか考えてなかったから、それはない、と言う。
でも先生は「こいつは大学に行かせてやって下さい」という。かなりしつこかった。しばらく問答したけど、
最後には「お金は何とかなりますから。何なら私が貸したっていい」とまで言いだす。しかも泣いてた。
今思えばどこまで本気だったのかはまあアレだけど、そう言ったことは事実。
結局親に無理させて、大学に行った。国立大で、授業料はほとんど免除だったけど、それでも金はかかるし、バイトもずいぶんやった。
でも、あのとき先生があそこまで食いさがらなかったら、僕は大学になんて行ってなかったと思う。
あの先生が担任で、僕は運がよかった。結局お金は借りずにすんだけど。
いや、苦労話を聞かせたいんじゃなくて。苦労ならもっと大変な思いをした人はいっぱいいるし。
そうじゃなくて、「頑張って勉強して、能力を伸ばす努力をすれば、上の社会階層に上がれるかもしれない」
なんてことは、大学進学を真剣に考えるようになるまでは、まるで思いつきもしなかった、ってこと。
ああでも、お前が無知だっただけ、って言うんだろうなあ。
違うんだよ。社会に本当に階層があって、しかもそれが移動可能だなんてことは、全然リアリティのない話だったんだよ。
テレビドラマに出てくるような上流階級みたいのがこの世にある、ってことは知ってる。だけどもう全然リアリティないんだよ。
大学なんか行ったことのある奴は、親戚中探したっていない。
同級生には大学進学を考えてる奴もいたけど、そいつんちはウチとは違う。
ウチは金もないし、親も歳だし、早く手に職つけて働かなくちゃ。一生懸命働けば少しはマシな暮しだってできるだろう。
だけどもそれは、階層を上ることとは全然違うことだった。
格差の固定化って、だからたぶん、努力するための資本がないとかいうことだけじゃなくて、
努力すれば格差を縮めたり、乗り越えたりできるかも、なんて本気で考えることができないような、
そういう環境の中で育つ、ってことでもあるんじゃないかなぁ、と。
貧乏でも実際なんとか大学には行けるけど、能力があろうがなかろうが大学進学なんてまるで想像の埒外、
という貧乏人の子だって結構いるんだよ。