はてなキーワード: 墓地とは
もしもそれが同等の発言だとすると、
「非モテ」であることはかなり大きな問題だ。
下記のような現象が発生している。
4、職業を自由に選択できない
5、「非モテ」であることを理由に投獄される
6、「非モテ」なので「非モテ」以外の人とは恋愛できないし、結婚できない。
7、非モテ専用バス、非モテ専用のトイレ、非モテ専用の銭湯がある
9、どんな命令であっても「非モテ」以外の人の命令に逆らうと集団でリンチされる。
10、「非モテ」は進学が制限される。
12、「非モテ」はそれ以外の人とは同じ墓地に埋めることはできない。
13、「非モテ」が触ったものは不浄であるとして廃棄される。
なぜ誰もこの問題を今まで言及しなかったのか。
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英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
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(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
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通巻第2703号
半分狂信的な母は当然、わたしが小さいころから活動を強制していた。わたしは小学5,6年からどうにもがまんできなくなり何度かぶつかりながらとうとう中学卒業と同時にきっぱり活動終了を宣言した。
しかしそれは一方的なものなので、学会の名簿には名前が残ってる。一人暮らしをはじめても、その地域の学会員が、仲間が来たと連絡を取ってくる。その人たちは丁重にお断りすればあと一切連絡は来ないが、引っ越すたびに必ず一回はやってくる。もしかしたら母が裏で手を回していたときもあったのかもしれない。
一番古い友達は、子供のころいっしょに活動していた創価学会員だ。友達はわたしがやめた経緯を知っているので、誘ってはこないが、生活の基盤が創価なのでちょいちょい話題には上がってくる。冗談半分で「今度の選挙よろしくね」くらいは言う。
母の妹も学会員で、わたしが抜けたばかりのころ一度説得されかかったが、聞き入れなかったらキレられてそれっきり会っていない。
母はあきらめてはいない。はっきり「あきらめてない」と言われたし、たまの仕送りには聖教新聞もしっかり入っている。
だが別々に暮らす年月も長くなって、もう言い争うのも疲れたし、年に2,3度会うときくらい穏やかに過ごしたいという思いはいっしょで、お互いこの問題には触れないようになった。
なったから、いいんだけど、わたしはもうこの宗教に対して激しい嫌悪感を抱いている。この宗教のせいでいらん苦労をさせられたと思っているのでもう金輪際、アリの子一匹、かかわりたくない。
友達や叔母は、会わなければいいのだけど、母は創価学会が持つ墓地に墓を買っている。母が生きているかぎり、死んでもお葬式や、墓参りするかぎり、あの三色旗を目にする機会があると思うと、少しだけ、ほんとうに少しだけ、絶望するときがあるのだ。
--ほんとうはhttp://anond.hatelabo.jp/20090809234058にトラバ送りたかったんだけどやり方がわかりませんでした。
4万だと、よほど郊外へ行かなければ難しいかもしれません。
個人的には都内へ通勤1時間以内で考えるなら、女性ということも加味すると6万以上の部屋がいいと思うんですが。
他の方も仰ってるようですが、確かに、先ず街の選択ですね。
あと、土地の値段が物件の値段に響くので、家の条件が同じでも賃貸料が随分違います。
http://www.tokyu-land.co.jp/map/chikabunpu/h19s/s-chika.html
訳アリのことが多いので、一時保留にしてよく調べてみることをお勧めします。
住んでみたらヤーさんの街だった…なんてのは心配ですからね。
「周辺が墓地」「出る」「前の住人が死去」物件で安いなんてのは
気にしないのであれば掘り出し物かもしれません。
まず、女性でしたら、基本的には駅から徒歩15分圏内がよいと思います。
まあ駅から遠くてバスしかないようなところの方が大抵安いんですけどね。
他の方も仰ってましたが、自炊するならばガスコンロも重要です。
電熱器しかないところに比べると遙かにマシです。
あと郊外だと難しいかもしれませんが、都市ガスが引かれていること。
プロパンだとガス代がかかります。
私事になりますが、身の回りで一番多かったトラブルは水回りです。
最終候補の物件では、不動産屋さんの許可を戴いて水道の水を1分以上流してみて、
(たいてい入居前に分かっていれば只で直して貰えます)
あと、ブレーカーが20Aのところは、相談すれば30Aにして貰えることが多いです。
電化製品を沢山使う場合は要チェックです。
で、私の意見も含め他の方も色々提案されてますが、
たぶん予算4万だと全部叶えるのは至難の業だと思います。
とりあえず安全は最優先に考えた方がいいと思います。
ちなみに私は以前木造に住んでいて上下左右音筒抜けでしたが、
それはそれで色々趣深かった覚えがあります。
母方の祖父が在日朝鮮か韓国(確認してないのでわからん)人な俺も便乗。帰化していないと確認したわけではない(あまり母は語りたがらないので)けど、祖母と母と叔父は祖母方の旧姓を名乗っているのに祖父は違う姓を名乗っていたし、祖父の入院時に部屋の名前が朝鮮風で書いてあったから間違いないだろう。
爺さんは俺の幼少期に「戦争の前にソウルから船に乗ってきた韓国人」と言ってたが、せいぜい小学校低学年の子供に言った事だし、どこまで本当だかはもう謎。関東の微妙な田舎で駅前のパチ屋経営してたので、所謂土地の不法占拠とかしてたのかもしれん。ただ、母が子供の頃は別の所で貧乏していたという話なんで、事情がよくわからん。ただまあ、色々事情が複雑なんだろうなあと考えると、母があまり爺さんについて語りたがらないのには納得がいく。母は祖父を嫌っているわけでは決して無いんだけど。育ててくれた事への感謝の言葉は何度か聞いている。
祖母は日本人。母も日本国籍。でも別に祖母方の親族と縁が切れたとかそういうことはないっぽい。俺世代での交流はあんまないけど、単に縁が無いだけだし。むしろ母の弟の嫁が性格的にアレな人で、そっちでごたごたしてたかな。祖父方の親族とは、祖父の所に遊びに来た、母の従妹にあたる人に一度会った事がある、程度(母も初対面だったみたい)。祖父自身は連絡取ってたかもしれんが、自分とか母は存在すら知らなかった。連絡先すら知らない。祖父の葬式には来てなかった気がする。
ちなみに祖父は日本の寺の墓地に埋葬されている。そういや墓の名前の表記も通名だなあ。で、パチ屋やってたんで駅前商店街でそれなりに繋がりがあったみたいなんだが、祖父の葬儀の後には商店街の人がみんな集まってた。不法占拠とかじゃないってことなのか、それはおいといて集まってくれたのか、商店街ぐるみで(ryなのかはわからんが、商店街で孤立してたわけじゃなかったみたいで安心したのを覚えてる。
で、俺はアホな子供だったので、小学校の頃とかは深く考えずに爺さんが韓国人だとかパチ屋やってるとか言ってた。母には無闇にそんなことは言うなと叱られたが、背景を知らんのでなぜ叱られたのかいまいち理解してなかった気がする。その事が理由でいじめられたって記憶はあんまりない。ゼロだったとは言わないが、太ってるやつにデブと言うとか、その程度。これは住んでいたのが新興住宅地で、地元の人間が少なかったせいもあるだろう。今はその頃の反動か、中々人には言えないでいる。面倒なごたごたに巻き込まれたくないなーというか。親しい友人の中には話した事があるやつもいるが。
小学校高学年の時に初めてはだしのゲンを読んだ時も、特に深い感慨は無し。特に韓国・朝鮮に思いを持ったことはない。辛い物が好きなんでキムチは好きだな。それくらい。どっちも国家としては嫌いだが、人としてはそりゃいろいろな人がいるからなー、としか。日本人も韓国人も、世界でアホやってるやつはいくらでもいるしねえ。あ、自分のアレが韓国人平均と日本人平均の間くらい(日本人より)なのは、ちょっと悲しいな。
そんな具合なので自分では完全に日本人という意識なんだけど、結婚する時に問題になるとしたら面倒だなーとは漠然と思っている。今は相手がいないので無用な心配だが。そろそろ母も60絡みだし、聞けるうちに話を聞いておいた方がいいのかなーとは思っているけども。祖父は何も聞けないうちに亡くなってしまった。それが良かったか悪かったかはわからんが、残念ではある。
なんかぐだぐだになってしまったが、自分が韓国や朝鮮に対して感じる気持ちは、埼玉出身の自分が千葉に数年住んだゆえに感じる思い入れよりも全然薄い感じ、ってくらいかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20090121152543
(M)イスラム世界との関係では、互いの利益と互いの敬意を基本として共に歩む方法を探す。
(A)イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。
(Y)イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。
(M)対立をあおったり、国内の社会問題が生じた責任を西側世界に押しつけようとする指導者たちよ、何を壊すかでなく、何を築けるかで、国民に評価されることを知るべきだ。
(A)紛争の種をまき、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい。
(Y)紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。
(M)腐敗、策略、口封じで権力にしがみつく指導者たちは、大きな歴史の過ちを犯していることを知るべきだ。
(A)腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。
(Y)腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。
(M)しかし、その握りこぶしをほどくならば、我々も手を差し伸べる。
(A)そして、握りしめたそのこぶしを開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ。
(Y)握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。
(M)貧しい国々の人々には、我々が一緒に汗を流すことを約束する。農地が豊かになり、きれいな水が流れるようにし、空腹を満たすとともに、飢えた心も満たす。
(A)貧しい国の人々に対しては、農場を豊かにし、清潔な水が流れるようにし、飢えた体と心をいやすためにあなた方とともに働くことを約束する。
(Y)貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。
(M)そして我々のように比較的豊かな国々は、国外での苦しみに無関心でいたり、影響を気にとめずに、地球の資源を浪費はできない。
(A)そして、米国同様に比較的豊かな国には、私たちはもはや国外の苦難に無関心でいることは許されないし、また影響を考えずに世界の資源を消費することも許されない、と言わなければならない。
(Y)我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。
(M)世界は既に変革しており、我々もそれに合わせて変わらなければならない。
(A)世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない。
(Y)世界は変わった。だから、我々も世界と共に変わらなければならない。
(M)我々は進む道を熟慮しながらも、今まさに、遠く離れた砂漠や山々で警戒に当たる勇敢なアメリカ人たちへ謙虚に、そして感謝の念を持ち、思いをはせる。
(A)私たちの目の前に伸びる道を考えるとき、つつましい感謝の気持ちとともに、いまこの瞬間にもはるかな砂漠や山々をパトロールしている勇敢な米軍人たちのことを思い起こす。
(Y)我々の前に広がる道について考える時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。
(M)彼らは今日、我々に教訓を与えてくれる。アーリントン国立墓地に眠る英雄たちと同じように。
(A)アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄たちの、時代を超えたささやきと同じように、彼らには、私たちに語りたいことがあるはずだ
(Y)彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。
(M)彼らが自由の守護者だからだけでなく、彼らは奉仕の精神を体現し、自分たち自身よりも偉大なものが存在し、それに意味を見いだす人たちだからこそ、たたえる。
(A)私たちが彼らに敬意を表するのは、彼らが私たちの自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり自分自身より大切なものに意味を見いだそうとしているからだ。
(Y)我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。
(M)そして、この歴史的な瞬間に、まさにこの精神を我々がみな共有しなければいけない。
(A)そして今、一つの時代が形作られようとしている今、私たちすべてが抱かなければならないのがこの精神だ。
(Y)これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。
(M)政府の能力や義務は、究極的には米国民の信念と決意が決定する。
(A)なぜなら、政府はできること、しなければならないことをするにせよ、この国が依存するのは、究極的には米国人の信頼と決意であるからだ。
(Y)政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。
(M)それは、堤防が決壊した時に見知らぬ人をも招き入れる親切や、友人が仕事を失うことになるよりも、自分の労働時間を削ってでも仕事を分け合おうという労働者たちの無私無欲のおかげで、最も暗い時を切り抜けることができる。
(A)最も難しい局面を乗り切るのは、堤防が決壊した時に見知らぬ人を招き入れる親切心であり、友人が仕事を失うのを傍観するよりは自分の就業時間を削減する労働者の無私の心だ。
(Y)堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。
(M)煙に満ちた階段を駆け上がる消防士の勇気や、子どもを育てる親たちの意志が、最終的に我々の運命を決定付ける。