はてなキーワード: 借家とは
「顔面をパンチ」が想像で済むうちはまだいい。俺はもう親父の顔を何度も殴った。
先日も夕食中に親父が俺に「女の腐った奴」だと言うからブチ切れた。親父だって会社潰して一億借金自己破産。法的返済義務が消えた途端安心し、再就職の努力もせず今まで来た。自己破産しても親類への返済は道義的に続けるもの。なのに「真剣に」返済する態度がなく陰口を叩かれてるのが親父の姿だ。年金受給をいい事に「就職しなくても年金の範囲内の返済でいい」と軽く考えている。引きこもりの俺と再就職を怖がる親父と、どこが違うか?俺は親父のコピーとして育っただけ。そもそも親父自身が新世界に出る意欲欠如。俺だけ「女の・・」呼ばわりされる覚えは無い。
俺は「自分の借金も返さない奴はメシなんか食うな!」と親父を怒鳴りつけた。取っ組み合いで俺は親父の顔を殴り倒した。そもそも俺は親父への堪忍袋の緒が何年も前から切れている。親父に対しては「この人は信じちゃいけない。ついて行っちゃいけない」という結論に達した。俺は普段から「ケンカでは必ず親父の顔を狙う」と心に決めている。しかし、これは決して皆に暴力を奨励しているわけではない。暴力なしで解決できるのが一番いい事は明らかだ。俺は親父の顔を殴る事にだんだん抵抗感が麻痺していく自分が怖いし、皆には「俺みたいになるな」としっかり伝えておく。
親父は耳から血を流して自室に逃げ込み、中からドアを閉めたが、俺は収まらない。しがみつく母を引きずったまま親父の部屋の前まで追いかけていき、あらゆる悪態を叫びながら、ドアに向かってドンブリは投げる、温度計は投げる、花瓶は投げる・・その後5分くらい暴れまくった。
俺たちは借家住まいなんで家に傷をつけたらマズいんだが、もちろんそんな事は怒りの最中は忘れている。「キレる」って状態はそもそも「借家だから我慢」なんて理性的判断が出来ない状態を言う。
親父はたまらず隙を見て自室からも逃げ出し、「病院に行く!」と言って車で慌ててどこかに逃げていった。「病院に」というのはもちろん嘘で、日曜の夜だったから開いている病院などあるわけがないのだ。夜間救急病院に行くにしても、借金一億の我が家には、その1回の治療費を払う余裕すらない。実際には親父は、どこかで車中で一泊し、俺の怒りが収まった頃を見計らって翌日の朝7時頃にまた戻ってきた逃げる時にすら「病院に」などと体裁を繕おうとした親父にはヘドが出る。素直に「怖いから逃げる」と本心を白状する強さはないのか?その方がよっぽど「可愛げ」がある。
俺に向けて「女の・・」と言った親父がそれでは男らしいかというと、全くそんな事はない。実際親父は一晩の非難から戻ってきた後に俺と同室でメシが食えなくなった。俺が食堂に入ると、親父は自分の分のメシやオカズをお盆に載せて自室に引きこもり、1人でビクビク食うようになった。引きこもりの親として、子供から尊敬や信頼を失う最悪の対応パターンである。俺を「女の・・」呼ばわりした以上は、親父は自分の強さにたいそう自信があるんだろうから、俺から殴られようが何だろうが堂々と俺と一緒にメシを食えばいいのだ。それが出来ないというのは「俺(=親父)は弱い」という事を態度では認めたも同然だ。それはいい・・親父に限らず誰にも弱さはある。悪いのは、弱さが態度に現れていながら、口では「俺は弱くない」などと虚勢を張る事だ。言行(げんこう)は必ず一致していなければならない。
本格的に入院したり自殺未遂したりで病院のお世話になり始めたのは7年くらい前、家に泥棒が入って生活費を15~20万程盗まれて精神的ストレスと恐怖感が増大してからだが(しかも犯人は親戚だったもんだから以下あとで)、私が小さな頃から元増田の日記にあるような性格傾向があったから、多分その頃から少しずつ病を得ていたんだろうと思う。
ただ元増田の家と状況が違うのは、弟は一時期色々あって大学を中退しながらも今は仕事しながら一人暮らしをしていることと、母親が中途の盲聾者ということだ。私が中学校位まではまだ少しは見えて聞こえていたのだが、今は全く。(でも母親の部屋には双子の子供がいて、それが何かを言っているのが聞こえているそうだ)目は網膜色素変性症、耳は高熱を出したことで突発性難聴で、私と弟が生まれる間に二つの病にかかったらしい。亡き祖母の話だが)
こういう状況だったから小さい頃から母方の祖父母と同居し、祖母が母親がわりに私の面倒を見てくれた。
祖父は賃貸業をやっているから(まだまだ元気な昭和3年生まれだ)ずっと家にいて、私は幸い寂しい思いをした事がなかったが、コロコロ変わる母親の機嫌に合わせるのが苦痛で、祖父母と折り合いの悪くなった父母と弟が一時期近所にある祖父の借家に引っ越した時も、私だけは祖父母の家に残って祖父母と一緒に暮らしていた。母は祖父母よりも遠い人間だった。
あんな女性にだけはなりたくない、としか思えなかった。
ヒステリックな母親の性格がどうしても好きになれなかった。「お母さんはかわいそうだから大切にしておやり」と祖母に言われて育ったが、私には無理だ、としか思えなかった。私が小さな頃はまだ補聴器を使えば音が聞こえていたが、中学の頃には聴力がほとんどなくなったから筆談しか出来なくなり、高校時代になると、視力もほぼ無くなったから、手のひらに指で文字を書かないと意思を伝えることが出来なくなった。
何かを相談しようにも、その過程を踏むのが面倒で、自分の進路を決める時は大概、家族には事後承諾だった。
高校も大学も第一志望を決めてから話をした。
幸い大学は第一志望には落ちたものの県外に出る事が出来た。祖母が土地を一つ売って事業に失敗した父親の借金を精算し、かつ私の入学費と1年生の間の授業料にあててくれたということを後で知った。2年からは授業料免除と奨学金とバイトで、家からの仕送りがほとんどない状態で大学に通えた。18切符で東京に行ってコミケに参加も出来た。
家に母がいない、家族の事を考える必要がない、ということがどれだけ気楽か。本当に幸せな時期だった。
ただ、私は地元に帰らねばならなかった。母親の面倒を見なければならないから。
やがて就職活動の時期になる。地元で就職先を探さなければならない。その時期から37~8度の微熱が続き、一日起きられないこともしばしばだった。今にして思えば多分、逃避行動でしかなかったのだろうと思う。そして時は折しも就職氷河期。
結局仕事の見つからないまま地元に帰り、とりあえずアルバイトで食いつないで公務員試験を受けよう、と思っていた時に、祖母にガンが見つかった。余命1年。
呆然とした。祖父と伯母二人と一緒に、入院していた病院に通った。母はその頃、自分の部屋に引きこもって、食事と風呂の時以外は部屋から出ないようになっていた。私には母の相手をしている精神的な余裕はなかった。祖母は手術をしたが体力がものすごい勢いで落ちていくのが傍目にも良くわかった。私はまだ何も恩返しをしていないのに。私の誕生日から2週間後にあっけなく祖母は逝った。
「お母さんの面倒を見てあげてね」というのが祖母の願いだった。しかし母との距離感を埋める努力すら、私はしようとしなかった。
私にとって母親以上に母親である存在だった祖母を亡くして、何もかもがどうでも良くなった時期に、前述した泥棒騒ぎが起きた。
母はしょっちゅう出歩くことが出来ないから、手元に生活費を持っていた。それをごっそり持っていかれて、恐怖と悲しみに泣き喚く母と一緒に私も泣くしか出来なかった。続けて2回。父親が金銭を管理するようにし、部屋に鍵を二つつけたが、母親は昼夜を問わず「死にたい」と大声で叫ぶようになった。部屋の中にマジックで「死ね」という殴り書きがあちこちでされた。
私は母親の変化を受け入れることが出来なかった。そして家にいることが苦痛になった。事情を知っている友人の家に入り浸るようになって、家に帰るのは2週間に一度という有様だった。
ある日たまたま家に帰った時。2階から父親が大声で私を呼んだ。母親の部屋に入ってみると血だらけだった。母は手首を切ってわんわん泣いていた。
見舞いに行くことすら苦痛だった。しかし投薬を始めて、母親の精神状態は嘘のように落ち着いた。最初はリスパダール頼みだったのが、徐々にいらなくなった。私は相変わらず家に近づくことがしんどいから父親に任せっきりにしていた。
後日わかった事だが、盗んだのは従兄弟だった。従兄弟の母親である伯母は、母の頼みで買い物に出かけたりしてくれていた。
何もかもうんざりだった。
…とりとめがなくなった。そんなこんなで私もパニック持ちだ。今もストレスがかかることがあると寝入りばなに死にそうな気持ちになって飛び起きるし、コーヒーを飲むと発作が出やすくなるからあまり飲まないようにしている。
20代の頃は早く死にたいと思っていた。
でも30代になって厄年を超えて、「とりあえず生きててもいいんじゃね」とちょっとずつ思えるようになってきた。
ちょっと前にも母親が首吊って死にそうになって入院した。鬱血した顔を見て泣けてはきたが、「母が生きててよかった」と思えるようになった。
私には元増田さんのような情の深さはないし自分かわいいし懐も広くはないから、母親を受け入れることは一生出来ないだろうと思う。父親には任せっぱなしで済まないと思うけど、なかなか家に帰れない。ごめん。
網膜色素変性症は遺伝の可能性があるから、私も発症するかもしれないし、子供に遺伝するかもしれないと考えると結婚&出産はする気がないけれども、人生の伴侶を見つけた元増田さんが羨ましいな~と思ってしまう。私、心狭いなあ。私の分も幸せになれよこんちくしょう!
でも人をうらやんでても自分は自分だからしょーがない。私は事情を知って受け入れてくれている友人に心から感謝するしかない。
私に生きる場所をくれた人だ。ここがあるから、私はとりあえず生きていようと思える。公務員にはなれなかったけれど、正社員でもないけれど、とりあえず働いて生きてる。働ける体がある。仕事とは別に一生続けられる技術も身につけた。
そしてオタクバンザイ。漫画とアニメとゲームと小説がなければ、私はとうに死んでいただろう。
死んでも世間的には害がないんだろうけど、ここで死ぬのはシャクだからもっと生きてもっと働いてもっと本読んでWEB見てゲームして遊ぶよ。
私には支えてくれるものがたくさんある。けれども母にはない。今年は私にとっては正念場だ。後悔したくないからちょっとだけ頑張ってみる。
母の世界は、母の中にしかないのだ。目を閉じて耳を塞いでも、目も見え耳も聞こえる私では想像出来ない世界に母は住んでいるのだから。
それを肝に銘じておかないといけないなあと思う。
人格者にはなれない人間が、過去を整理するためにつぶやいてみた。
…こうやって並べてみてみると、自分本当にキャパ狭いな…。だから増田で書いたんだが。
ごめんねばあちゃん。頑張ってもう少しだけ母親に優しくしてみるよ…出来るといいなあ。
って人が、今生活できないのは、CDの値段が上がったからって事はないべ。
小麦の値段とか言うけれど、昔と比べてエンゲル係数が劇的に上がっているとも思えない。
単純に、生活するための水準が上がっていて、その水準が強制されるためであって、物価が上がったからではないと思う。
長屋に住む選択肢は失われて、それなりの借家やアパートにすまなければならなくなったり、その為の入居審査が厳しくなっていたり。
そういう、生活のための水準が上がっている、と私は思っている。
ちょっと前にあった「携帯がなければ仕事も出来ない元生活保護対象者」なんてのも、まさに無駄に高い生活レベルの犠牲者じゃないかね?
これらをどう転換するか
後の平成オイルショックである。成功すれば世界でも有数の環境大国になることは間違いない。失敗すれば目も当てられないことになるのは必至。
【政策目的】
○課税の根拠を失った暫定税率を廃止して、税制に対する国民の信頼を回復する。
○2.5兆円の減税を実施し、国民生活を守る。特に、移動を車に依存することの多い地方の国民負担を軽減する。
【具体策】
○ガソリン税、軽油引取税、自動車重量税、自動車取得税の暫定税率は廃止して、2.5兆円の減税を実施する。
○将来的には、ガソリン税、軽油引取税は「地球温暖化対策税(仮称)」として一本化、自動車重量税は自動車税と一本化、自動車取得税は消費税との二重課税回避の観点から廃止する。
【所要額】
2.5兆円程度
42.地球温暖化対策を強力に推進する
【政策目的】
○国際社会と協調して地球温暖化に歯止めをかけ、次世代に良好な環境を引き継ぐ。
○CO2等排出量について、2020年までに25%減(1990年比)、2050年までに60%超減(同前)を目標とする。
【具体策】
○「ポスト京都」の温暖化ガス抑制の国際的枠組みに米国・中国・インドなど主要排出国の参加を促し、主導的な環境外交を展開する。
○キャップ&トレード方式による実効ある国内排出量取引市場を創設する。
○地球温暖化対策税の導入を検討する。その際、地方財政に配慮しつつ、特定の産業に過度の負担とならないように留意した制度設計を行う。
○家電製品等の供給・販売に際して、CO2排出に関する情報を通知するなど「CO2の見える化」を推進する。
【政策目的】
○国民生活に根ざした温暖化対策を推進することにより、国民の温暖化に対する意識を高める。
○エネルギー分野での新たな技術開発・産業育成をすすめ、安定した雇用を創出する。
【具体策】
○全量買い取り方式の再生可能エネルギーに対する固定価格買取制度を早期に導入するとともに、効率的な電力網(スマートグリッド)の技術開発・普及を促進する。
○住宅用などの太陽光パネル、環境対応車、省エネ家電などの購入を助成する。
【政策目的】
○住宅政策を転換して、多様化する国民の価値観にあった住宅の普及を促進する。
【具体策】
○リフォームを最重点に位置づけ、バリアフリー改修、耐震補強改修、太陽光パネルや断熱材設置などの省エネルギー改修工事を支援する。
○建築基準法などの関係法令の抜本的見直し、住宅建設に係る資格・許認可の整理・簡素化等、必要な予算を地方自治体に一括交付する。
○正しく鑑定できる人(ホームインスペクター)の育成、施工現場記録の取引時の添付を推進する。
○多様な賃貸住宅を整備するため、家賃補助や所得控除などの支援制度を創設する。
○定期借家制度の普及を推進する。ノンリコース(不遡及)型ローンの普及を促進する。土地の価値のみでなされているリバースモーゲージ(住宅担保貸付)を利用しやすくする。
○木材住宅産業を「地域資源活用型産業」の柱とし、推進する。伝統工法を継承する技術者、健全な地場の建設・建築産業を育成する。
【政策目的】
○1次エネルギーの総供給量に占める再生可能エネルギーの割合を、2020年までに10%程度の水準まで引き上げる。
○環境技術の研究開発・実用化を進めることで、わが国の国際競争力を維持・向上させる。
【具体策】
○世界をリードする燃料電池、超伝導、バイオマスなどの環境技術の研究開発・実用化を進める。
○新エネルギー・省エネルギー技術を活用し、イノベーション等による新産業を育成する。
○国立大学法人など公的研究開発法人制度の改善、研究者奨励金制度の創設などにより、大学や研究機関の教育力・研究力を世界トップレベルまで引き上げる。
【政策目的】
○国民生活の安定、経済の安定成長のため、エネルギー安定供給体制を確立する。
【具体策】
○エネルギーの安定確保、新エネルギーの開発・普及、省エネルギー推進等に一元的に取り組む。
http://www.youtube.com/watch?v=emgdR5voFO8
まみちゃんって子を自転車でなんていうんですか
自転車を使ってまみちゃんを連れ出したと
パチンコ屋の駐輪所ですか
そこから私の自転車を使って両替所まで行って
両替をすませてからマミちゃんが下にいるってことを
座っていたんです
料金所の前に
マミちゃんの座ってる姿を見まして
マミちゃんに声をかけたんです
自転車の後ろに乗せて
両替所から土手の方面に誘っていったんですよ
マミちゃんを乗せて
土手まで行きまして
土手から自転車で下って行ったんですよ
ネットがあるんですけども
そこを通りましてずっと行きまして
それで河川敷ですか
マミちゃんを降ろして
それでなんていうんですか
それからマミちゃんの首ですか
絞め
ほとんど毎日、飼い猫にヒモつけて、うちのベランダのそばの植物の足下に排泄させていくひとがいる。
ちなみに私は借家住まいなので、そこは私の家の土地ではなく、管理者は別の人間(団体)である。
先日、平日休みだったときに、その人がまた、その植物の中に突っ立って猫に排泄させてる姿を見つけ、携帯電話で写真と動画で撮影しておいた。よく撮れた。使うつもりはないけど、何かもめごとが起きたときのためにとっておく(肖像権とか面倒だし役に立たないかもしれん)。
その植物の足下は、毎日の排泄物がたまりにたまっているので非常に臭い。自分で始末をしないそこに入れることがおそろしい。かなりの悪臭なので、先日うちの家族が、犬猫が嫌う匂いをそこら中の地面にまいていた(人間に気付かれない程度に)。非常に腹が立つ。飼い主め、その植物の葉っぱを誤って摂食してしまえ!
そういうひとは沢山居て、『ペットの飼育・散歩はできません』の看板の前でルンルンと犬猫を散歩させてる時点で狂ってるとしか思えない。動物をばかにしているとしか思えない。
相手が野良猫だったら野良猫とたたかうだけで済むけれど、飼い猫は、飼い猫にあえてそういう行為をさせている頭のおかしい飼い主とたたかわなければいけない。しかも自分はこいつと同じ人間なのだと思わされる。しかもそういう変な人みんな年寄り。地獄かここは?