はてなキーワード: 中二病とは
そういえば、中二病真っ盛りの女子(主にオタ層だけだけど)は、男っぽく振舞ったり、男っぽいと見られることを好んでたりするけど(極端な場合だと「俺」とか言ったり)、中二病真っ盛りの男子は、その逆をしないよね。女っぽく振舞うとか。
どちらも「ほかとは違う、変わった俺・私……」ってとこに酔いやすいのは確かだろうけど、女子が男子っぽく振舞うのはそれだけじゃ説明できない。それだったら男子も女子っぽくなっているはず。でもそれは無い。
ってのはやはりなんとなく「男っぽさ」の方が「女っぽさ」より、格が上だと、世間ではなんとなくそういう風になっているのだと、子供達が見抜いているからなんだろうね。だからこそ「私サバサバしてるでしょ」とか「豪快だって言われる」とかアピールする。それはそういう所謂男っぽい気質の方が、(漠然とした話だけど)上だと思われているから。子供がそう思っているというより世間がそう思っているのを子供は感知しているんだろうと思う。男子が女子っぽくふるまったところで、「オカマっぽくてキメェw」とか笑われるのがオチだから。
なんかそういうのが後ろに透けて見えてこの手の話題って悲しくなるんだよなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20081012025205
これはいたい意見だなー(鋭い、当たっててしんどいって意味で)。
女ってのは2階層に分かれてて、容姿も行動も女らしく女であることを肯定出来ている『女』と、単に生物学上女なだけで『女』にはなれていない者がいる。後者が『女』になりたいか、『女』になればメデタシメデタシかというと違ってて、『女』にならないと出来損ない扱いされる存在であること、そのような立場で生まれてきたことに不満を抱いており、自分が『女』になることは、女とはそのような存在であると認めることであり、不満の源に迎合することは出来ないという葛藤がある。
その「生物学上は女」は、言い換えると「不本意ながら女」なんだと思うよ。純粋に男になりたいってのをどういう意味で言ってるか知らないけど、一旦女として生まれた以上純粋に男になるということはあり得ないわけで、この後なれるのは性転換した元女としての男という存在でしかない。
「男に生まれればよかった」「しかし、性転換をして男になるのは違う」「女として生まれた事実は変えられない」「女として生まれた者が、『女』にならない(なりたくない)いう理由で女であることを捨てて男になることを望むのは、女とは『女』にならないといけない存在であると認める行為ではないのか?自らそれを認めてしまうのか?自分ひとりだけが抜け出せばいいのか?それしか方法はないのか?女はこの先もそのような存在のままでいいのか?」「そもそも女という存在が嫌だという理由で男になることを望むのは、生まれつきの性自認ゆえにそれを望む人達に失礼ではないか?性転換の目的外使用ではないか?」当人の気持ちとしては、こんな感じ。中二病的な理屈を捏ね回してる。
思い出して書いてみた。
漫画では死神に忍者、ライトノベルでは異能バトルが物語のセオリーになりつつありますが、
これが行き過ぎた時に個人的になんとも言えない気持ち悪さを生むことがあります。
それを一般的に総じて中二病というわけですが、個人的には漫画はきついなぁと感じるもののライトノベルは大丈夫なんですよね。
もやもやとしかわからないのだけれど、この違いはなんなのかと深夜に屍姫を見ていてふと感じたので書いてみます。
理由の一部でしかないような気がしますが、
僕の中の言葉を寄せ集めてみると中二的な要素に陳腐だったり、地に足がついていない空想だと感じているからではないかと思います。
これが若さ溢れると感じる要因なのではないかと。
大人になるにつれて整合性を求めるというか、このふわふわとした感覚が許容できなくなるんですよね。
そう思うとライトノベルは辛うじて物語の体裁を保っていて、溢れんばかりの中二要素をうまくまとめてストーリーの主軸へと誘導しているのが特徴なのかなと思います。
話の整合性を保っていることで、思う存分中二的な妄想を展開することができて恥辱の泥沼に浸ることができる……これがライトノベルで中二的な要素を許容できる大きな特徴でしょう。
一方、漫画のほうは中二的な能力や設定に焦点がいきがちなのと、それをイラストで視覚化してしまうことで気恥ずかしさを感じてしまうのです。
あぁ、なんという羞恥プレイ。ボクの妄想が晒されているぅううううううう>< びくびくんっ!!
みたいな感じ。
読みながら脳内で繰り広げられる妄想が、目の前の紙面に投影されていることで辱められているような気になってきます。
そして、こんなことを考えながら読んでいる自分をさらに俯瞰することで死にたくなってくるという無限ループ。
あぁ、もうどうにでもしてぇえええええ!!!
さらに、設定ばかりが強調されていることでストーリーの地に足のつかなさが気恥ずかしさに拍車をかける。
……これが、漫画とライトノベルにおける決定的な違いなのではないかと。
まぁ要するに「中二は大好きなんだけど、おっさんには中二漫画はしんどい」
これに尽きるのかも。
もやもやと同じようなことを感じている人は結構多いんじゃないかな?
http://scarecrowbone.crz.jp/etc/himotemap/himoteMap.html
おれはどこにいるんだろう。
まず非モテであることは間違いない。なにせ年齢=彼女いない歴であり甘酸っぱい経験など皆無なのである。そのくせ嫌経験値だけ異様に高く対人関係に適度な距離を求めてしまうのが積極的行動を取れない原因かと思われるわけだが。ぶっちゃけ人間不信寸前。他人を信じる自分を信じろ的屁理屈によってギリギリのところで踏み止まっているが、これって生命力だけで踏み止まっているようなもんだから非常に危うい状態。実際折れることもあるしな。けっこう折れやすいのかもしれない、と最近思っている。
うっわ、こりゃあ非モテなワケだ。なにこの中二病。自意識過剰も大概にしろと。
話を続けよう。ここで落ち込んでいたらしょうがない。でもおれは彼女が欲しいわけだ。おれが「彼女が欲しい」と思っているのは前述の嫌経験値を相殺できる経験を求めているからだと思う。このままだと過去に囚われてろくな未来へ進めないことは明白。具体的には孤独死が待ち受けている。おれに他人を信じさせてくれ。だから「彼女」というのは概念に過ぎず「友達」でも良いはずだが、そこはそれ、やはり男の子、彼女が欲しい。おれは女の子が好きなんだ! と、ここで性欲肯定思考停止はたやすいが、もうちょっと踏み込んでみよう。だいたいそれほど切羽詰まった性的欲望は持ち合わせていない。だったら「友達」で満たされるはずだ。どうして「彼女」なのか。
「友達」と「彼女」はどのように違うのかといえば、なにより「関係性」が違うだろう。
「友達」は趣味嗜好など自分自身以外の要素で結びつくことが可能である。それに対し「彼女」は自分自身に魅力なくして結ばれることは不可能な関係性である。つまり自分自身を受け入れて欲しいという願望が「彼女が欲しい」には現れているのではかろうか。あるいは「相手(彼女)の自分自身」を自分に預けて欲しいという「信頼」を求めているという可能性も考えられる。いずれにせよキーワードは「自分自身」だ。この推論に自分の状況を照らし合わせてみると、どっちにも当てはまる気がする。そりゃあ当然「自分自身」を受け入れて欲しいし他人に頼られるのも、めんどくさいけど、なんだかんだで引き受けてしまう性格だ。
となると嫌経験値の相殺とは「自分自身」と「相手(彼女)の自分自身」に対する信用回復を求めていると解釈できる。だから趣味嗜好で結ばれることのできる「友達」では足りなくて自分自身で結ばれる「彼女」が欲しい。ままならない状況でうまく立ち回ることのできない「自分」や自分を苦しめるような「相手(彼女)」ばかりとは限らず、「自分」も「他人(彼女)」も、もっと信じるに足るものだという確証を求めているということではなかろうか。って、おれって結局人間不信なんじゃねえか、どこが人間不信寸前だ。とっくのとうに立派な人間不信患者じゃねーか。踏み止まることができていない。折れてる。ちょっとヘコんだ。
自分が「他人を信じたい」のはわかっていたけど、まさかここまでとは。「友達」じゃなくて「彼女」が欲しいのは相当重症のようだ。せめて「親友」がいれば違ったのかもしれない。けれどもそこまで親しい友達はいない。おれが距離を作っているせいもあるけど。たとえ同性相手だろうとも、おれは滅多に心を許さない。どこかしら予防線を張ってしまっている。もしも「自分自身」が受け入れられなかったり「相手の自分自身」を預けてくれるような信頼を得られなくても傷付かないように「他人を信じる自分を信じろ」なんて言って本当は信じていなかったんだ。
だけど、まだ人間を信じたい。
だから「彼女が欲しい」と思っている。
おっかなびっくり人間を信じたいと思っている日陰者。
いまはまだだれそれが好きというわけじゃなくて漠然と「彼女が欲しい」と思っているけど、いつかだれかを心の底から信じたいと思ったとき、そのときおれは相手(彼女)に惚れるのだろうか。そのときおれは積極的な行動に出ることができるのだろうか。というか、そもそもこんなテキストを書いたのは「非モテMAP」のどこに自分が当てはまるか考えてみようというのがことのきっかけだったのだが、なんだかどこにも当てはまらないようで、ちょっとだけ寂しいです。こんなところでもひとりぼっちなんて! だれかー!
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うわー。
なんか勢いに任せて書いたので書き足りないと思って修正していたらいつのまにかトラックバックが沢山付いている! どうやって返せばいいのかわからないので、とりあえず追記で。すみません。
・追い詰められているのかな。ぶっちゃけ薬服用してますが。
・承認欲求をすべて「彼女」に求める気はないです。嫌経験を払拭できる「きっかけ」が欲しいだけなのです。たぶん。
・女友達はいるけどそういう雰囲気になることがないんです……
・「彼女」は「友達」の延長線上にあるという考え方はアリだと思います。だけどその延長線上にどうやってステップアップするのでしょうか。
・ハムスターを飼っていたのですが死んでしまいました。超泣きました。
思ったことをここで書いてみようと思う。
チラシの裏にでも書いてろよって言われるかもしれないけど、ちょっと誰かに聞いてほしい。
誰かに相談できないわけじゃないんだけど、相談する気にはなれない。
実は他人の目がすごく気になる。外見は、「他人なんて関係ないし、私は私だし、他の人とはちょっと違うし、一緒にしないでもらいたいし、自分は高尚だし、中二病って言いたい奴は勝手に言ってろって感じ」と取り繕ってはいるが、実は他人のことが気になって気になって仕方ない。だから、今は、できるだけ人の目を気にしないように思ったことを書いてみる。きっと「自分はほかの人とは違うんだオーラ」が文章からにじみ出て、不快になる人がいるかもしれないから先にごめんなさいと言っておきます。
こういうことを書いている時点でもう人の目を気にしているし、自意識過剰なんだよなー。なー。
私は友達というものがまだよくわかっていない。
1.自分が友達だと思ってるし、相手も友達と思ってくれているんだろうなという人が何人かいる。2.自分がもうちょっとで友達になれそうな気がしていて、相手は友達と思ってくれているんだろうという人も何人かいる。3.自分は友達と思っていなくて、相手は友達と思ってくれているんだろうなという人がかなり多い。たぶん全体の七割近くいる。あとは、4.友達じゃないけど好きな人。たとえば親とか先輩、後輩、先生。5.友達じゃないし嫌いな人。残りは6.知らない人。
一度挨拶したらもう友達なのか?それ以前に友達ってなによ?簡単に「親友だよね!」って言える人って何者だ?
私は昔かなりうざい人だった、と思う。よく泣いていた。自分ってかわいそう、と思っていた。(この辺は成長してもあまり変わっていないような気がする)
でも、大きくなってから、自分ってかわいそう、っていうのをやめようと思った。(じゃあここでぐちぐち書いてるお前はなんだというのは置いといて)
だから人に泣き言を言うとか、そういうことをしないようにしている。
そうしたら、人に相談する方法を忘れてしまった。
いや、簡単に、「私最近こういうことを悩んでいるんだ」と言えばいいんだろうけど。私が長年育ててきたプライドがそれを許さない。そんなかっこ悪いことできない。そういう割には簡単に、「最近ちょっと辛くてさー」とか、自分は友達と思っていない人に簡単に言ったりする。言ってしまえば人に言えるようなちっぽけな弱みを大げさに言って、外交手段に使う。自分が友達と思っていないなら、何も言わないでほっとけばいいのに、たぶん自分は「大勢に好かれる自分」が好きだから、そういう人にも媚を売る。そして自己嫌悪に陥る。
思えば昔から、本当に言いたいことは我慢してきた。怒ったことがめったにない。他人に対して本気で目に見える形で怒ったことなんか、小学校以来一度もない。
自分の思い描く人物になりたいけれど、口だけなので何も行動を起こさない。
見栄の塊だ。
実際頭がいい自分を思い描いて、頭が良くないのに勉強して見栄を張る(こういうのって見栄って言うのか?)、とかならまだいいのに、自分はそれすらしない、最悪なパターンだな。
話がそれてしまった。
つまり何が言いたいかというと、私って本当に友達が少ない。自分も友達だと思ってる人に、相談すればいいんだけど、それすらできない。「いきなり何言ってんの」「そんな話されても困るんだけど」と言われるのが怖い。つまり信用していない。親にすら言わない。余計な心配はかけたくない。でもそれってやっぱりつらい。
みんなは、どうして人を信用できるのだろう。
中二病乙wwwというレベルの話かもしれないけど、本気で考えている。恋愛感情だけじゃなく、人を愛するってどういうことだ?
自分好かれてると思う。自分で言うほど友達だって少なくない。恵まれてると思う。彼氏はいないけど。親もやさしい。姉のことなんて世界で一番大好きで自慢できると思っている。
でもなぜかいつも悲しいし空しい。なんで生きてるんだろう。なんでみんなそんなに楽しそうなんだろう。なんでみんな人のことにそんなに興味があるんだろう。人とかかわらないと生きていけないのは確かなんだけど、なぜ休日にまで人と遊ぼうと思う?大した用事もないのにメールとか電話しようと思う?
私に干渉しないでほしい。こっちに踏み入ってこないでほしい。関係ないんだからほっといてほしい。仲良くしようとしないでほしい。そっとしといてほしい。
でもそっぽは向かないでほしい。嫌わないでほしい。
わからん。
結局自分は、たくさんのもの持ってるふりがうまいだけだ。実際は何も持っていないのに、嘘つくのがうまいから、みんな騙されてすごいね、えらいね、優しいね、いい人だね、って言ってくるんだろうなあ。寛容で執着がないふりをしているだけだ。実際は嫉妬深くて善人面してるそこらへんのバカと変わりない人間なんだ。
とりあえず人に優しくしておけば、人からも優しくされる確率が上がるし、自分に甘くしても「人に優しくしてるからいいや」って思えるし、厳しいことや酷いことを言われても「優しくしてやったのに」と相手を非難できるし「酷いこと言われても怒らないで優しくできる自分すごい」って思える。何かのせいにすることができる。
でもそんな優しさは偽物だ。でもやめられない。
こういうのって、やめる気がないんだろうな。根性論ってあまり好きじゃないけれど、「本当にやめようと思ったらもうやめてるはずだ」と言われると、反論できなくなる。頑張ってもどうしようもないこともあるってこともわかってるんだけど。
そう、自分は「頭でわかってるだけ」なんだろうな。
自分が愛するから愛されるのか、自分が愛されたから愛するのか、どっちなんだろう。
わからん!ぜんぜんわからん!
先日、ある人に対してものすごくひどいことを言ってしまった。怒ったわけではないけれど、あとあと思い返すとかなり失礼なことを言ってしまった。
その人はなんというか、「自分はほかの人とは違うのよ」というタイプの人だったから同族嫌悪をしてしまった。自分もものすごくそういうこと思ってるくせになー。
後悔してる。その人に対して言った言葉はまぎれもなく自分に向けて吐かれたものだった。だからずっと大丈夫だと思っていたものが実は全然大丈夫じゃないことに気付いてしまったんだよなーくそーやってしまった!
ここまで自分のどこが悪いか、とかいろいろ分析して悩むくせに、一向に「いい人」になれないのは、きっとやはり自分に直す気がないからだろう。
「ちょっと難しいこと書いてる自分が好き」なのであって、言うなればこれはただのパフォーマンスなんだ。顔も見えない人々にまで、自分は媚を売っている。
と書けば、誰かが「そんなことない、あなたはよくやってるよ」と言ってもらえると思ってる。
と書けば、誰かが「そんなことない、あなたはよくやってるよ」と言ってもらえると思ってる。
と書けば……以下無限ループ。
誰か愛してくれよ。その前に誰かを愛せ?でも誰かに愛されなきゃ誰かを愛そうなんて気になれねーよ。
嫌わないでよ。
絶対に崩れない信頼なんてないし、絶対に冷めない愛もない。生まれてしまったらいつかは死んでしまうみたいに、人を好きになったらいつか絶対嫌いになる。恋を始めたらそれには終わりが来るし、人から好かれたっていつか絶対嫌われてしまう。
わかっているけどその愛がほしい。絶対に終わらない、一生続く愛がほしい。
長文すぎた。
そんなこんなで最近よく眠れない。ご飯もあまり食べていない。こんなんじゃ駄目だと思うから、とりあえずいつもはシャワーだけだけれど、今日は湯船にお湯を溜めました。ゆっくり風呂にでも入ろうと思う。
これを読んでいろんなこと思う人がいると思う。否定的な意見を見たらきっと沈むと思うけど、だからと言って意見を書くのをためらわないでほしい。でも正直否定しないでくださいよ(笑)とは思ってます。
異質なものを排除する本能を持っているわけではない
いや、持っているでしょう。
異質なものではなく同質なものと群れようとするのが社会の本質だと思う。
そもそも、自他と言うのが「自分とは異なるもの」を認識することで、さらに同質異質の具合は、それぞれの「他」で異なり自分との距離がある。
それが群れであり社会であろう。
しかし、それらは子供のときから発現するのではなく、徐々に発現していく。それを大人になると言う。
徐々に発現することで、自身の社会観が自分の環境に合うように調整されながら拡大する。沢山の「他」に合い「異」を見つけることで自分の社会観が拡大される。そのためのスロースタートであり好奇心である。
しかし、時として中二病の様にバランスを崩すこともある。急激に環境が変わることでバランスを崩すこともある。
そういった事に対する防御反応の一つに「異の排除」があるかも知れない。
思ったことをここで書いてみようと思う。
チラシの裏にでも書いてろよって言われるかもしれないけど、ちょっと誰かに聞いてほしい。
誰かに相談できないわけじゃないんだけど、相談する気にはなれない。
実は他人の目がすごく気になる。外見は、「他人なんて関係ないし、私は私だし、他の人とはちょっと違うし、一緒にしないでもらいたいし、自分は高尚だし、中二病って言いたい奴は勝手に言ってろって感じ」と取り繕ってはいるが、実は他人のことが気になって気になって仕方ない。だから、今は、できるだけ人の目を気にしないように思ったことを書いてみる。きっと「自分はほかの人とは違うんだオーラ」が文章からにじみ出て、不快になる人がいるかもしれないから先にごめんなさいと言っておきます。
こういうことを書いている時点でもう人の目を気にしているし、自意識過剰なんだよなー。なー。
私は友達というものがまだよくわかっていない。??自分が友達だと思ってるし、相手も友達と思ってくれているんだろうなという人が何人かいる。??自分がもうちょっとで友達になれそうな気がしていて、相手は友達と思ってくれているんだろうという人も何人かいる。??自分は友達と思っていなくて、相手は友達と思ってくれているんだろうなという人がかなり多い。たぶん全体の七割近くいる。あとは、??友達じゃないけど好きな人。たとえば親とか先輩、後輩、先生。??友達じゃないし嫌いな人。残りは??知らない人。
一度挨拶したらもう友達なのか?それ以前に友達ってなによ?簡単に「親友だよね!」って言える人って何者だ?
私は昔かなりうざい人だった、と思う。よく泣いていた。自分ってかわいそう、と思っていた。(この辺は成長してもあまり変わっていないような気がする)
でも、大きくなってから、自分ってかわいそう、っていうのをやめようと思った。(じゃあここでぐちぐち書いてるお前はなんだというのは置いといて)
だから人に泣き言を言うとか、そういうことをしないようにしている。
そうしたら、人に相談する方法を忘れてしまった。
いや、簡単に、「私最近こういうことを悩んでいるんだ」と言えばいいんだろうけど。私が長年育ててきたプライドがそれを許さない。そんなかっこ悪いことできない。そういう割には簡単に、「最近ちょっと辛くてさー」とか、自分は友達と思っていない人に簡単に言ったりする。言ってしまえば人に言えるようなちっぽけな弱みを大げさに言って、外交手段に使う。自分が友達と思っていないなら、何も言わないでほっとけばいいのに、たぶん自分は「大勢に好かれる自分」が好きだから、そういう人にも媚を売る。そして自己嫌悪に陥る。
思えば昔から、本当に言いたいことは我慢してきた。怒ったことがめったにない。他人に対して本気で目に見える形で怒ったことなんか、小学校以来一度もない。
自分の思い描く人物になりたいけれど、口だけなので何も行動を起こさない。
見栄の塊だ。
実際頭がいい自分を思い描いて、頭が良くないのに勉強して見栄を張る(こういうのって見栄って言うのか?)、とかならまだいいのに、自分はそれすらしない、最悪なパターンだな。
話がそれてしまった。
つまり何が言いたいかというと、私って本当に友達が少ない。自分も友達だと思ってる人に、相談すればいいんだけど、それすらできない。「いきなり何言ってんの」「そんな話されても困るんだけど」と言われるのが怖い。つまり信用していない。親にすら言わない。余計な心配はかけたくない。でもそれってやっぱりつらい。
みんなは、どうして人を信用できるのだろう。
中二病乙wwwというレベルの話かもしれないけど、本気で考えている。恋愛感情だけじゃなく、人を愛するってどういうことだ?
自分好かれてると思う。自分で言うほど友達だって少なくない。恵まれてると思う。彼氏はいないけど。親もやさしい。姉のことなんて世界で一番大好きで自慢できると思っている。
でもなぜかいつも悲しいし空しい。なんで生きてるんだろう。なんでみんなそんなに楽しそうなんだろう。なんでみんな人のことにそんなに興味があるんだろう。人とかかわらないと生きていけないのは確かなんだけど、なぜ休日にまで人と遊ぼうと思う?大した用事もないのにメールとか電話しようと思う?
私に干渉しないでほしい。こっちに踏み入ってこないでほしい。関係ないんだからほっといてほしい。仲良くしようとしないでほしい。そっとしといてほしい。
でもそっぽは向かないでほしい。嫌わないでほしい。
わからん。
結局自分は、たくさんのもの持ってるふりがうまいだけだ。実際は何も持っていないのに、嘘つくのがうまいから、みんな騙されてすごいね、えらいね、優しいね、いい人だね、って言ってくるんだろうなあ。寛容で執着がないふりをしているだけだ。実際は嫉妬深くて善人面してるそこらへんのバカと変わりない人間なんだ。
とりあえず人に優しくしておけば、人からも優しくされる確率が上がるし、自分に甘くしても「人に優しくしてるからいいや」って思えるし、厳しいことや酷いことを言われても「優しくしてやったのに」と相手を非難できるし「酷いこと言われても怒らないで優しくできる自分すごい」って思える。何かのせいにすることができる。
でもそんな優しさは偽物だ。でもやめられない。
こういうのって、やめる気がないんだろうな。根性論ってあまり好きじゃないけれど、「本当にやめようと思ったらもうやめてるはずだ」と言われると、反論できなくなる。頑張ってもどうしようもないこともあるってこともわかってるんだけど。
そう、自分は「頭でわかってるだけ」なんだろうな。
自分が愛するから愛されるのか、自分が愛されたから愛するのか、どっちなんだろう。
わからん!ぜんぜんわからん!
先日、ある人に対してものすごくひどいことを言ってしまった。怒ったわけではないけれど、あとあと思い返すとかなり失礼なことを言ってしまった。
その人はなんというか、「自分はほかの人とは違うのよ」というタイプの人だったから同族嫌悪をしてしまった。自分もものすごくそういうこと思ってるくせになー。
後悔してる。その人に対して言った言葉はまぎれもなく自分に向けて吐かれたものだった。だからずっと大丈夫だと思っていたものが実は全然大丈夫じゃないことに気付いてしまったんだよなーくそーやってしまった!
ここまで自分のどこが悪いか、とかいろいろ分析して悩むくせに、一向に「いい人」になれないのは、きっとやはり自分に直す気がないからだろう。
「ちょっと難しいこと書いてる自分が好き」なのであって、言うなればこれはただのパフォーマンスなんだ。顔も見えない人々にまで、自分は媚を売っている。
と書けば、誰かが「そんなことない、あなたはよくやってるよ」と言ってもらえると思ってる。
と書けば、誰かが「そんなことない、あなたはよくやってるよ」と言ってもらえると思ってる。
と書けば……以下無限ループ。
誰か愛してくれよ。その前に誰かを愛せ?でも誰かに愛されなきゃ誰かを愛そうなんて気になれねーよ。
嫌わないでよ。
絶対に崩れない信頼なんてないし、絶対に冷めない愛もない。生まれてしまったらいつかは死んでしまうみたいに、人を好きになったらいつか絶対嫌いになる。恋を始めたらそれには終わりが来るし、人から好かれたっていつか絶対嫌われてしまう。
わかっているけどその愛がほしい。絶対に終わらない、一生続く愛がほしい。
長文すぎた。
そんなこんなで最近よく眠れない。ご飯もあまり食べていない。こんなんじゃ駄目だと思うから、とりあえずいつもはシャワーだけだけれど、今日は湯船にお湯を溜めました。ゆっくり風呂にでも入ろうと思う。
これを読んでいろんなこと思う人がいると思う。否定的な意見を見たらきっと沈むと思うけど、だからと言って意見を書くのをためらわないでほしい。でも正直否定しないでくださいよ(笑)とは思ってます。
Q1.「フィクションって要するにただの嘘じゃん。そんなのに生活する上で何の意味があるの?」と訊かれた時、あなたなら何と答えますか。
嘘を楽しむゆとりが欲しいよね。
で、オイラもQ2へ進めないわけだが。
暇な元増田は質問を続けてくれるよな?w
色々読んで勉強になったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080908193625
言わないねぇ、たぶん。
でも、勝手にそう思っているだけかもしれない。たまに乙女の時もあるし。
指摘しないけど。
怖いから。
http://anond.hatelabo.jp/20080908193928
ワラタw
やっぱり無謀だよね…orz。
http://anond.hatelabo.jp/20080908202351
当たり前だけど結婚するのには金が掛かるし、それをどちらがどの割合で負担するかで揉めがち。
怖いよね、お金の話。自分も友人に金を貸したら友情が壊れたこともあってガクブル。
だから、今の彼女とはちゃんと最初から話をしてある。
財布はちゃんと別にしよう&すべて半々って。
#俺よりも稼いでいるからなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20080908183446
この増田はカッコいいな。
http://anond.hatelabo.jp/20080908183808
北京鍋がいいね
広東鍋にしようかと思ってた…。
http://anond.hatelabo.jp/20080908190010
なんで男って中華鍋好きなの? あんなのクソ重くて使えない。
うひひサーセン。
料理は俺しかしないので、あんまり問題ないかと思ったけど、俺向けのプレゼントにしかならないなorz
ちなみに中華鍋は五徳の上で前後に揺すって使うもので、持ち上げないよ。具材が入っちゃえば重い軽いはあんまり関係ないと思う…。
手入れが面倒なのは確かだね。
たまに使うときとか、さびを落として使うのが面倒に感じるときがある。
http://anond.hatelabo.jp/20080908183808
リンかけで知ったんだっけ。これを指輪代わりに…と夢想した中二病患者だった昔の俺。
http://anond.hatelabo.jp/20080908183808
こ、このセットはいい!婿入り道具として自分で買おう!
いつも単体で見ては「いいなぁ。でもなぁ」と悩んでいた俺にとってセットは心強い。
で、結局の所、打開策が見あたらないので、次のデートの時にでもさりげなく何が欲しいか聞いてみますよ。
「周りは関係ない」そこまで言える君は立派だと思う。
別に立派でもなんでもないけどね。
やりたくない(=面白くないと思う)仕事だったら周りなんか気にせず全力でやらない方向に持ってくって話でもあるからね。
モチベーションは、新しいものを生み出せる(またはそれができる可能性)に対する喜びだなあ。
そのためだったら空気とか全く気にしない。「一人前の社会人」様から見れば、大人になれない中二病ってことになるんだろうけど
俺はそんな声も全く気にしないので、少なくとも今のところ、このスタンスを崩すつもりは全く無い。
自分の可能性が完全に頭打ちになってしまったときに考えるしかないんだろうなと思う。
そうかもしれないですね。
自分の能力を認めて欲しい。
そして無能力なクズは死ぬべき。
とは言いつつも。
高校時代は入学早々にやる気をなくし
授業に出つつ一日中伏せつつ部活には入らず家に帰って寝るだけのような三年間を過ごし
(もちろん予備校でも友達を作ろうと試みたこともありませんし、話しかけられたこともありません)
ゲームセンターで予備校での勉強以上に、予備校そっちのけるように努力して
対戦では勝てず友人もできず薄ら笑いをされながらプレイを見られるだけという
パッとしない結果に終わり失望、その他人生初の数々の挫折を挟みつつ
結局偏差値55(代ゼミ調べ)ぐらいの東京の私大を一校補欠で引っ掛けただけで
そのまま繰り上げされず(ちなみにその学校、なぜか補欠合格は300人ぐらいいました)、
大学はひとまず諦め、社会に承認されることと能力を育てて自分の存在を認めることを求めて非肉体労働の派遣社員になるも
みたいなこと言われて研修段階一ヶ月でクビ。
ズタボロにされて生きる気力を全て失い親に迷惑をかけながら毎日涙と汗で枕を濡らす今に至り、
そしてこんなことを書き込んで自分の存在を残そうと必死にしてる日常が続く。
自分は友人がいないからわからないけど、友人関係というのは
見るべき点をお互い見せ合うことで成り立つものだと思ってます。
そうじゃないと友人にする意味がありませんから。
ということで自分はネット上にも現実世界にも友人が誰一人いません。
誰も自分に長所があるなんて思ってくれないのでしょう。
誰か自分に見るべきところがあることを教えて欲しい。
それを誰かに教えてもらわないと、何かをする意味がない。社会で生きる意味がない。無いなら死ぬしかない。
でも、それを見初めてもらうためにはどうするのか分からない。だから動けない。
それでも「やりたくないこと」をきっちり線引きしてる自分は相当わがままだよね。
このよくわからない文章も含めてゆとり教育の産物か。
「こんな私って変わってるでしょ」アピールがどうこうって話は、大体女性内部の話だよな。
「こんな私」アピールをするのもそうだし、「こんな私アピールウザい!」って言ってるのもどっちも女性、って意味な。
あんまり男が「こんな私アピールですか」とか言ってるのは見かけないんだけどなんでだ?気付き難いのか。(そもそも、「アピールうざい」という指摘が当たっているか否かは分からないから、気付いていないという問題ではないかもしれないが)
しかし男にも「こんなマイナーな趣味を持つ俺」という、中ニ病的な感覚はあるはずなのだが…。
しかし増田やブログなんかでさり気無く「アタシアピール」を混ぜるとか、そしてそれにたいして「何?アタシアピール?ウザいんだけど」という反応をするとか、そういうのってほとんど女じゃね?
なんでなんだろな?
男はそういうアピールに寛容なのか。あるいは女が身内のアピールに厳しすぎなのか。
そういえば女は女のアピール指摘にはうるさいが、男の中二病的な感覚にはあまりうるさくない気がする。
なんかあれか?書いていて、遊郭とか、大奥的なものを思い出した。
女というのは今でもああいった感覚があるのだろうか。
なんというのか男によって閉じられた女社会の中で少しでもいい男をゲットしようと内部で競争しあうという構図。
男社会であまりそうならないのは、他者によって閉じられた社会ではないからか。
それが原因とするなら、女の生来的なものが原因ではなく、社会的なものが原因なのか。
しかし今はそんな構造は薄まっているのに何故……という疑問はあるが……
俺は2chの同人板にも時々いるんだが、あの中の女同士の足のひっぱりあいとか、互いに「あんた本当はこんなこと考えてるんじゃないの」「こんなアピールしてんじゃないの」という疑り合いとかは物凄い。昔はそれほどじゃなかったが年月が進むにつれ益々酷くなっている。少しのアピール臭も見逃さない彼女らの嗅覚と、アピールしたい者、自分たちから抜け出そうとするものを徹底的に叩くというパワーがどこから来ているのか、興味がある。
なぜ女は女に厳しいのだ?
女の方が異性獲得は男より一般的に容易いであろうに、何故そこまで必死に身内で争う必要があるのだ?何故そんなに「アピール」に対して過敏になる必要がある?
それがわからない。俺ら男の方がそうなっていてもいいようなものだが。いや、男にも実際そういう面はないわけはないのだが……
しかし、かと思えば、小町なんかでは女同士物凄いタッグを組み、愚かな発言をした男を容赦なくガスガス攻撃していく。
なんだ。仲良くできるんじゃないか……と見ていると、またその中でよくわからない内戦が始まる。
誰もが通る中二病だから気にしないで。
>なんて得意げに言っちゃってるブログも多いけど、警察や検察だって無罪もらったら大変だから、こんなのでは動けないよ。
>いま見つけたけど、この人のいってることなんかは割と感覚的にまともかな。
あんたが批判している前者と、共感している後者の文章を読み比べてみたが、さほどの違いを感じないのだがね。
>企業云々なんて法人化してるプロ同人が紛れ込んでる時点でもうなんの説得力もないし、
>そもそもアレだけ著作権侵害してる連中に場を提供しといて、DSのエロゲーはルール違反ですって
>なんというダブルスタンダードとしか。
>単に闇市の元締めが、「闇米はまあいいけど、さすがに麻薬売ったら警察来るからアイツは締め出しとくか」
>という判断をしたのと変わりない。
そうだよ?その通りだよ。
著作権云々もあんたの言う通りで、かなりグレーゾーンだし、コミケの他のエロ同人の方がよほどヤバい。
でもだ、そのダブルスタンダード!や法治国家!を叫んでいる時点で、空気が読めていないというか、社会経験が少ないというか、中二病的なんだよ。そんなもん、アキバデモの連中にやらせておけよ。それが分かってないから、ああやってブログが炎上すんだよ。
コミケは何も、著作権の為とか表現者の為にとか、そんな問題意識でそのサークルを排除したんじゃない。コミケ自身の存続の事を考え、その為に出来る事を優先しただけだ。全ての「参加者」がそう。中二病のガキの為に、法律論を戦わせるつもりは毛頭無いんだよ。
ここしばらく思春期だ。30手前なのに。
希望していた大学に入学できてとくに留年も休学もせず卒業していちおう自分の中の憧れ1つだった職業に就いて今日まで何事も無く働いている。大好きなあの人との交際は順調でこのままいけば数年後には結婚するだろう。
全部自分で選択してきた道なので誰のせいでもない。一体私は今の生活の何が不満というか不安なんだろう。
よくわからないから1人で毎晩のようにお酒を飲む。前までは飲みながら誰かに愚痴を聞いてもらうことが慰めだったけど、もうしない。
そういうぼんやりした不安を愚痴った翌日はとても恥ずかしい気分になるからだ。それに皆そんな暇じゃないだろう。
親にも友人にも恋人にもだらしない顔で楽しい話しか提供しない。とりあえず笑っておく。mixiやブログの中の私はいつもゴキゲンだ。
こんなの大人のルールだろうと頭ではわかっているけれども疲れてしまった。全部放ってしまいたい。
以前、妹が鬱病になった。私は天真爛漫な妹が大好きだったので、死にたいとか呪詛めいた言葉を口走るようになって目つきも変わってしまった彼女を見ているのが辛くて、彼女のいないところではよく1人で泣いた。けれども彼女にとって私は「頼れるおねえちゃん」だったので、弱気な言葉を吐く妹に対しては勝気でいなければなかった。
「死ぬような覚悟があるくらいなら何でもできるじゃん、選択肢がたくさんあることは素晴らしいことなんだよ」
「自分の頭で考えているだけじゃ事態は何も変わらないよ。過ぎたこと思い返すのってすごく無駄じゃない?」
今ぜんぶ自分に返ってくる気がする。
もう本当に何が不満で不安なんだろう。胸の中につかえているこの漠然としたものがなんだかお酒で流し込めそうで今日も飲む。
真昼間のこんな天気に良い日に昼から飲酒するなんて楽しいことなのになんで惨めな気持ちになるんだろう。
今夜は彼と会うからその前に酔いをさまさなければいけない。彼ともお酒を飲むだろう、そのときは仕事であった笑い話を肴にしよう。家族旅行の幹事を任されてるから旅館の予約もそろそろとらないといけない。友だちからのメールに返信しないといけない。
今までかかわりのあったすべての人の頭から私の存在を抹消してしまいたい。