はてなキーワード: ファンタジーとは
「くぱぁ」って何なんだろうか。
はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガで女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1
気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。
(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)
擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。
(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合
(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合
とりあえず、この2つ。
まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン。
実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。
たとえば、マウスをクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。
マウスをクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。
「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。
馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。
・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。
「くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。
実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。
怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。
でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。
こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。
この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。
(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。
同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。
でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。
音が実際に発しているわけではないのだから。
きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。
(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。
社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。
TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。
継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説や漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。
瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。
擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。
(2)のパターンの擬音は、自己の感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。
共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味な存在でしかないだろう。
(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)
手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。
そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。
それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。
「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。
静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。
そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。
「耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。
「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。
なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。
散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。
思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。
【第1段階~反対語のイメージ利用~】
食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。
逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。
だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。
(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)
しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。
どうにも、乾いた響きしかしない。
一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。
「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。
だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。
「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。
「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。
「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。
しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。
小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。
だから、ここでは「くぱっ」となる。
【第2段階~語尾の変更~】
さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。
小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。
動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。
「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。
だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。
冷静に考えてみてほしい。
素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。
著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。
勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。
求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。
そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。
「くぱぁ」
柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。
まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。
(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)
【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】
もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。
なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。
日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。
そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。
擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。
・カタカナは、直線的であり、鋭角的である。
・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。
この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。
たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。
だが、今回のテーマ「くぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。
一応、試しに表記しておこう。
・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。
・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。
そんなわけで、「くぱぁ」完成。
今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。
「くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。
・・・んなこたぁないか。
もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。
【6月10日追記】
意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。
TBで指摘されていた「擬態語・擬声語・オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。
その通りだとは思うんですが・・・。
そうすると、擬音語・擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。
う~ん・・・、上手く表現できないんですが。
何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。
先ほど見た、はてブのコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。
これって、凄く重要な指摘なんだと思います。
童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、
醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。
そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。
時には、ファンタジーをファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。
・・・やっぱり上手く表現できませんね。
自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。
自分でもわかりません。
他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。
荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。
その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。
ゆえに、説明は難しい、と思います。
あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。
「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語。
まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。
また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。
創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。
「くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・
(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。
(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉を並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。
(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。
こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。
ファンタジーだから、どんな表現でもOKっていうわけではないのは理解してると思うんだけど
表現の自由って言葉を盾にしているばかりじゃ、根本的な解決に至らないのは反対派の人は理解してるんだろうか。
今、作り手側が慎重な姿勢を見せているのに色んな増田があーでもないこーでもないと
作り手側の事を考えてない主張を続けていたら、今回の規制の幅って結構酷い広がり方するんじゃないかな。
最近のメディアは、2chやらはてなやら何でも見て記事にしてるようだし、どこかでタレこんでる奴がいるかもしれない。
そんな世の中なんだし、騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほど規制は厳しくなるような気がするね。
レイプもののゲーム、レイプものエロ小説、レイプものエロ漫画。
「こういうの読む人ってレイプしたがってるの?」
「こういうの使う人って、レイプ予備軍、犯罪予備軍じゃないの?」
ものすごい誤解である。
---
女性に人気のエロというと、BL、やおい、Juneなどなど、男性同士のエロがある。
これを読んで男性が
「こういうの読む人って、男性が犯されてるの見て喜ぶ犯罪予備軍じゃないの?」
と発言したら、どう思うだろうか?
チンポをアナルにぶっこまれたら痛いし、そもそも男に突っ込まれたら精神的に立ち直れない程のダメージを負うだろう。
それを見て性欲を満たす、異常性欲の持ち主なんだろうか?
---
当然、そんな事は無いのだ。
女性が男性同士の性交をファンタジーとして捉える事については、もう既に論議しつくした感がある。
あくまでファンタジーであり、なりきりなのだ。
なりきりの証明として、最近のやおい本ではイケメンが女子高生の格好をしたり、ゴスロリ服を着るのが珍しくない。コメディっぽく主婦をしてるのも多い(男性同士結婚している)。
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実際のところ、エロゲなりエロ漫画なりエロ小説なりで、レイプものとなると、それは単なるファンタジーであり、なりきりだ。
自分が女性化して、見ず知らずの男にどっぷんどっぷん中田氏レイプされるのに感じてしまう人がいるかも知れない。何しろ妄想だから、妊娠したところでなーんにも問題ない。
逆に、犯す側の視点かも知れないが、女性は急にエロに目覚めて、レイプで感じてるかも知れない。大量のチンポを見てうっとりしてしまうかも知れない。何しろ妄想だから何でもありだ。
逆に、ものすごくリアルに、女性が泣き叫んで鼻の穴を大きくしてウワンウワン泣いて汚い顔になってレイプされてるのを見て、それをおかずに出来る人間なんてほとんど居ないといってもいい。
AVだって、レイプモノはあるが、悲壮感が漂わないよう、ファンタジーとリアルの中間を満たすようになっている。AVで女優の顔面を本気で殴って言う事を聞かせてレイプ、なんてまず無い。あくまでファンタジーだ。
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性の問題は心の問題で、理解しようと思えば理解できる。
女性側に立てば、男性同士の性交だってファンタジーと割り切り、理解してあげる事ができる。
何故、女性側はその視点に立てないのだろうか。
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理解しようとしない場合、それは単なる「差別」しか生まない。
理性があるのだから、未熟な否定はやめにしないか。
サンクス。
ようやく増田で理解し合える人がいた。まったく仰るとおり。握手したい気分w
ちょっと前の痴漢騒動の時もだけど、
性問題にたいしてネット上の世論って、けっこうルーズなんだよね。
もうちょっと非オヤジ的で男女平等的な意見が聞けるかと思っていたのに、
全然違っていて唖然とした。
とてもよくわかる。
「男ってしょうがないな」で済ます女性も結構いるよね。
別にファンタジーなんだから、どういった表現があっても良いとは思うんだ。
けど、嫌悪感を持つ人が大勢いるのをわかっているものが、大手を振ってまかり通るのは変だよね。
なんていうのかな。楽しむのは構わないけど、自分たちが楽しんでいる中身をもう少しちゃんと考えて世間にどう見られるか、自覚しようよ。アングラに行った方が、もっと背徳感も得られて良いんじゃない。
あ。それが問題の根底だぞ。
そもそもそういったパッケージ化された陵辱系ゲームやらマンガやらが存在しなければ、お前の妄想もお前の思い描けるレベルで留まっていただろ。そしてそれの現実味について、現実と比較することすらできないわけだから妄想の幅は広がらないか、とんでもないファンタジーレベルまで突き抜けてしまうわけだ。
でもここまではお前個人の、妄想。
だけどもそれがパッケージ化されて販売されることで、ある一定の「陵辱系」における共通認識、お約束、が出来上がるわけだろ。その時点で現実とリンクし始めるわけだ、お前の妄想でしかなかった妄想が。
それが危険。
あ、おれが妄想してたことと同じ→自分ひとりじゃなかった→やっぱりこういうとき女の子はこういう反応するんだ///
とかね。
だからそもそも妄想から具現化されてはいけないものだったし、ましてやイージーアクセス化されることなんて本当にとんでもない状況なんだぞ。
朝礼で校長の話聞きながら、何故か学校に乱入してきたテロリストをお前が1人で倒してヒーローなファンタジーが手の届くことなのか?
個人差があると思うなー。
陵辱シーンがあったとしても、陵辱されるキャラと自分自身を重ねたりしないので別になんとも思わんな。
ありえない演出が多いので、ゲーム内の出来事はすべてファンタジーに見える。
女の立場でみると、「ねーよwww」の連発。
ちなみに「遺作」は好きであります。
しかし、人によっては嫌悪感を抱くだろうし、3次元の女性を「調教しようと思った」とかいって拉致して殺してトイレに流しちゃうやつもいるってことで(陵辱ゲームの影響があったかどうかはさておき)、問題なのは、刺激の強いエロゲーがもはやアングラではなく、Amazonで簡単に買えちゃうということではないか?
俺は、父親が本棚の奥に隠していた18禁小説で、性の知識を得た。それを読むまで、正直なところセックスの意味が判らなかった。
というワケで、俺は40年ほど前の18禁小説から、つい最近までの18禁小説まで、かなりの範囲の18禁小説を読んでいる。
---
18禁小説の存在で特筆すべきは、フランス書院ナポレオン文庫だろう。
それまでおたくは18禁小説を手に入れる手段は、主にコミケだった。アニメキャラが犯される小説はコミケでのみ売っていた。そういう時期がかつてあった。
その、おたくとはかけ離れた存在だった18禁小説の分野に、ライトノベルを取り入れたのがナポレオン文庫だ。
試みは面白かった。
現代オカルト、ファンタジー、SFなどなど、その当時のオタクが大好きな分野の18禁小説だ。
その当時、ライトノベルの大家が小金を稼ぐ為に別名でナポレオン文庫を執筆していた事が明らかになったりした。
しかしその実態は、編集のやる気が全く無く、作家の熱意だけで動いていたような感じだった。人気はあったものの、ナポレオン文庫は中途半端な終わり方をしてしまう。
# この辺りの詳しい話は、雑波業がどこかのインタビューで記事にしていたはずだし、実は俺もナポレオン文庫に投稿してたので、編集の酷さは実際に会って感じた事である
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しかし、実のところ、ライトノベルにも延滞期があったように、18禁小説も、しばらく「ずーっと同じようなものばかり」が書かれる時期があった。
何しろ存在がアンダーグラウンド的なものなので、表立った批評なんぞされないし、前述の通り、作家を成長させるべき編集もやる気が無い。
なので、実際のところ、ライトノベル的手法だけが進化していった。
やれSFの巧妙さだの、設定の緻密さだの、キャラの魅力だの、18禁小説としては本筋ではない部分ばかりが成長していったのだ。
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今、おたく向けの18禁小説といえば「二次元ドリーム文庫」が代表だが、それも今までの話の延長上の路線を歩んでいる。
ただし「主人公が必ず格闘技術を身につけた少女であり、ものすごい乱交レイプされた挙句、最後には必ず大逆転して笑顔で終了」というものすごい縛りがあるのだが……(それゆえ「二次元ドリームエンド」なる言葉が生まれるほどだ)
# 更に最近、二次元ドリームコミックという漫画版も出始めた。1話読みきり漫画で単行本1冊(8話ぐらい)まるまるそのパターンが繰り返されるというのは凄いものだ
二次元ドリームマガジンを読んでも、エロ描写に限って言えば「取って付けたようなもの」なのだ。実の所、ナポレオン文庫の頃と全く同じ。
表現自体が当時と同じなのだ。まぁ18禁小説をそこまで長々と読み続けている俺みたいなのがおかしいとは思うのだが、古臭く感じている。
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そして俺は、インターネットの掲示板……具体的に言うと、2chのネトラレスレで、衝撃を受ける事になる。
今まで読んだ18禁小説が全くお話にならないぐらい、高度なエロ描写の連続。ストーリーラインも見事だし、キャラの魅力も素晴らしく、また、感情移入しやすさも抜群にいい。
そう、インターネット。毎日のようにエロ小説が投稿される場所。その技術は日進月歩。
いつからその文化があるのかは知らないが、俺が知った頃には、既に「出版されている18禁小説が足元にも及ばない」作品群の数々が、多数まとめられていた。
オタクが食いつかないはずがない。
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俺は衝撃を受けた。
俺が10年以上追い続けてきた18禁小説は、あっという間に時代遅れになってしまったのだ。
何度も読んできたお気に入りの本が、あっという間に陳腐化した。読み直すと「これはひどい」としか言えない。
更に言えば、何故か商業は取り残され、無料であるはずのネットの方が良質の18禁小説を生み出している。わざわざ金を払うのは、ネットの18禁小説の存在を知らないだけではないだろうか。
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この進歩は、本当にすごい。停滞していた18禁小説の世界が、一気に飛躍した。
今も進歩し続けている。
今まで飛躍しなかったのは何故なんだろうか。何故、古臭いままここまで来てしまったのだろうか。
そのうち、ネット18禁小説を読んだ人が、エロ小説家を目指して頑張り、今のネットのレベルに商業が追いつく日が来るだろう。その時こそ、日本の18禁小説はやっと進歩するのだと思う。
そうなんだ。その通りだ。
だが、1って
1)相手がかわいそうだから
だよな…
嫌がらなくちゃ面白くない、っつてるのに、何故1?
それも広義で1、って言われたら、何の意味もないんじゃないか?
なんか、ツリーが伸びすぎると、元記事読まない奴がいるのか、
変なコメントつき出すな。
選択肢ない…。
「嫌だと口で言っておきながら体は…云々」というエロ親父的発想なので、
10中8,9レイプ/痴漢の被害者は心身ともに嫌がるだけだから、”つまらないからやらない”
かといって、「嫌がる」事もなかったら、それはそれでレイプ/痴漢の意味がない。
盗撮だともっと分かりやすいと思う。
「見せる気満々」の下着なんて見てもなんのありがたみもない。
「(下心で)見られる気構えのない」下着なんて、見てもこれっぽっちもエロくない。
見られるのはイヤ。
でも、万が一見られたら、魅力あるように見られたい…
でも見られるのはイヤッ!
って感じ。
間違っても「こっち見んな」じゃないぞ。
ツンデレっていうのか?これ。
それをやっている人はみんな性犯罪起こすのか?
…というのはさんざっぱら言われているのでなんですが。
されたいと思わないし、されたところでまた警察に行って根掘り葉掘り聞かれて嫌な思いしたくないし。
結局ファンタジーなんだよな、『剣と魔法がどうこう』みたいなのと一緒で。
…まぁ女性向けのものに限っちゃゲームよりマンガの方がすごい。
レイプ・調教・SM(って調教と一緒か)そういうのが普通に売られてる。
しかもティーンズ向け。
まぁ最近ある本にはようやく『大人向け』ってついたけど、表紙に申し訳程度で成年系のマークに比べりゃぜんぜんついてないに等しい。
どっかの自治体でも読者体験投稿系のレディコミも成年系に入るようになったけどさ。
…というのも散々言われてるよな。すまん
陵辱ものがなくなっちゃうと困っちゃうぐらい陵辱ものじゃないと楽しめないの?
それって「どうしてもなきゃ困る」ものなのかなー。
それが流通可能な商品として認可されてることを根拠にして性暴力が起こってたりするような副作用の方が深刻だったら制限も仕方がない場合もあるんじゃないかとか思うんだけど。
あと、環境的にそこここで日常的に性暴力が行われてるから、「所詮ファンタジー」と考えられないところもあるんだと思うんだよね。日本ではレイプの被害率7.3%とかいう調査結果も出てるということだし、痴漢だって日常茶飯事だし。
仰るとおりです。
で、「性暴力を扱った作品が、性暴力犯罪を増長させている」ことが、因果関係含め統計上明らかならば、
これはもう規制されても致し方ないとは思います。
(影響を与えないこと、を示すは悪魔の証明になるのでおそらく困難)
ただ、性犯罪以外の犯罪を取り扱った作品が他の犯罪の増加に関連するのであれば、
それらも等しく制限の対象とされるべきであると思います。
たとえば、殺人をメインテーマに掲げたホラー作品や、殺人が恒常的に行われレル少年漫画が殺人犯罪に与える影響。
あと、環境的にそこここで日常的に性暴力が行われてるから、「所詮ファンタジー」と考えられないところもあるんだと思うんだよね。日本ではレイプの被害率7.3%とかいう調査結果も出てるということだし、痴漢だって日常茶飯事だし。
この手のジャンルに共通の、ある種の様式美とかファンタジー感じてて、それがめっぽう好き。
とても褒められた趣味じゃないので、嫁にも隠してるけど
パソコンの中はそういったものでいっぱいです。
でまあ、生身で体験したいかって言われたら絶対NOですね。
まあ一番問題なのは女だって陵辱ゲー好きなのいるんだから女にも被レイプ願望はある!とか言っちゃうやつなんだけど。
ちょっと思ったんだけど、陵辱ものがなくなっちゃうと困っちゃうぐらい陵辱ものじゃないと楽しめないの?
それって「どうしてもなきゃ困る」ものなのかなー。
それが流通可能な商品として認可されてることを根拠にして性暴力が起こってたりするような副作用の方が深刻だったら制限も仕方がない場合もあるんじゃないかとか思うんだけど。
あと、環境的にそこここで日常的に性暴力が行われてるから、「所詮ファンタジー」と考えられないところもあるんだと思うんだよね。日本ではレイプの被害率7.3%とかいう調査結果も出てるということだし、痴漢だって日常茶飯事だし。
私も女だが、陵辱、輪姦、触手が大好きです。
この手のジャンルに共通の、ある種の様式美とかファンタジー感じてて、それがめっぽう好き。
とても褒められた趣味じゃないので、旦那にも隠してるけど
パソコンの中はそういったものでいっぱいです。
でまあ、生身で体験したいかって言われたら絶対NOですね。
当たり前、とか言えるのかわかんないけど、
別にね、こういうのが嫌いだって言う人は男女関係なく多いと思うし、
理解して欲しいとも思わない。
だから、その手の愛好者は見たくもない人の目に付かぬよう極力配慮する義務はあると思う。
そして理解できない人に無理に理解を求めてはいけない。
その結果が「なぜ女がレイプエロゲをするのか」程度なのだから。
見えないところで、ひっそりやっているのだから、どうかその存在だけは許容して下さいと。
そもそも、「自分の理解の範疇を超えた存在があるべきではない」という
理屈がまかり通っている点に、はなはだ疑問を感じます。
見たくないものは、見なければいい。
でもそれを見たい人の邪魔をしないで。