はてなキーワード: サクサクとは
簡単な検証スクリプトを書いて、IE6と比較してみた。
100000回の加算にかかる時間を計測する。
http://applet-space.hp.infoseek.co.jp/javaspeedtest.shtml
結果 firefox3 加算100000回にかかる処理時間 1回目: 8 ms 2回目: 8 ms 3回目: 8 ms 4回目: 8 ms 5回目: 9 ms 6回目: 8 ms 7回目: 8 ms 8回目: 8 ms 9回目: 8 ms 10回目: 8 ms 平均 8.1ms IE6 加算100000回にかかる処理時間 1回目: 47 ms 2回目: 32 ms 3回目: 46 ms 4回目: 32 ms 5回目: 47 ms 6回目: 31 ms 7回目: 47 ms 8回目: 31 ms 9回目: 47 ms 10回目: 31 ms 平均 39.1ms
本当に変わるもんなんだな。これだけ違えば確かにサクサクにも感じるわ。
明日から東京で受験で、試験後もう一泊するので次の日は本屋でいろいろ(買うものは試験の手ごたえ次第で変わるけど)買ってこようと思っている。
もし手ごたえが良かったら、プログラミングの勉強を本格的にしたいなあと思っている。
いまどき高校生でも中学生でも普通にサクサク自作ソフトとか公開しちゃう人もいるし、その人らに追いつこうと思ったら結果発表待たずに始めたい。まあ手ごたえいまいちなら後期の勉強しなきゃだが。
cから入ろうかと思っている。いろんな言語の根っこにあるという話を聞くし、俺が社会人になるころにも消えていないだろうし、cで苦労しておくと他の言語を覚えるとき楽だと聞いたので。
具体的には
プログラミング言語C ANSI規格準拠か新ANSI C言語辞典のどっちかを辞書本にして進めて行きたいなあと
地方の本屋ではお目にかかれない本ばかりなので実際に本を見てから決めたいなあと思ってるけど、経験者様から見てなにかアドバイスあればお願いします。
梅田さんの言っている事、そしてニコニコが前提としているのは、デジタルミレニアム著作権法的な、「問題があれば通報してくれれば削除するよ、それでいいでしょ?」というスタンスだよね。梅田さんは「こうあるのが望ましいけど、でも現行の法制度で駄目な以上、駄目だよね」という主張をするとばかり思ってたので少し意外。
ちなみに権利者的には、ニコニコは凄くやりやすい環境らしい。YouTubeと違って運営が日本人なので日本語だけでOK、やろうと思えば本社に直接出向いて話すことも可能、ステークホルダーが全員日本の法律下にあるので話が簡単、動画数も少ない(日本語圏のもののみ)のでチェックもしやすい(運営からツールの提供もある)、しかも言えば速攻でサクサク消してくれる。
ニコニコが無くなってもどうせYouTubeやステ6に流れるだけ、ならば相手がしやすいニコニコに一極集中してくれた方が都合がいい、という理屈なんだそうで。なんつーか、たくましいな。
なんつーかアドエス。
WindowsMobileがウンコすぎないか!
ていうかこれ「電話ではない」わけじゃん、でもインターフェースは電話、つまり「パソコンでもない」わけなのよ。
電話でもパソコンでもない、じゃあ何か新しい価値観を提供してくれてるかっていうと、ちっともそうではないわけ。ある所は電話で、ある所はパソコン。
「いや、、俺電話だし、、」「あー、俺パソコンなんだわー、俺の仕事じゃないよね?」みたいな、そういった奴らが一緒になったっていう、で、小さいっていう。
パソコンとしても使いにくく、電話としても使いにくい、っていうただのガジェット好きな人の為のガジェット、っていう感じがして、iPhoneを待つべきだったんだなぁと、まあ今更。
でも別に後悔とかしているわけではなくて、移動しながらメッセンジャーできるとか、2chブラウザがサクサク動くとか、まあそういったのはすごい、常につながりっぱなしで移動できるとかもすごいと思うんだ、だけどこれって、今パソコンでやっていることがまあただ使いにくくなって移動できるようになりました、ってだけで、本当新しい事一切無いのだよね。
そうかんがえるとちっとも画期的なプロダクトではないんだなぁと、それって2005年にZERO-3が出てから、細かい仕様以外は全く進歩してないってことなんじゃないかって。
日本のメーカーってだいたいそう、画期的な想像力に本当に欠如している、これは別にappleマンセーしたいわけではなくて、ほとんどのプロダクトが「かっこよくしました」「軽くしました」「早くなりました」で終ってる、それ自体の仕事はたしかに細かくて間違いはない、すごい、だけど、それ以外ってじゃあどうなのっていう、使い手にとってのバランス感が一切ない。「かっこよくしました」は「安くなりました」と天秤にかけられちゃう価値観なんだよ、それって商品の魅力の一つではあっても、コンセプトなんかじゃない。2000年代になって、安くなりましたを拒絶したいくせに、そこからちっとも前に進めてない。
こういったセンスのなさっていうのはいつから変わるんだろう。
とりわけ、レザーにしました、質感がいいです、フェイスがかえられるようにしましたとかで「デザイン携帯」なんて恥ずかしい広告バンバン打っちゃう携帯に関しては、期待できないないのかなと。
携帯性、デバイスの操作性から、インターフェースのデザイン、中身の動き、デジタルとアナログ技術が集結した今やプロダクトの花形だと思うんだ。
もうちょい頑張れよ!!
後乗せサクサクw
「隠されるのがイヤ」という気持ちはわかります。
心外というか、その程度の事で嫉妬し立腹するような人間だと思われていたのか?と少しショックを受けるな。
特に避けるような事柄でもないけれど、変に隠し立てするような事柄でもないと思う。
今日の夕飯はチキンカツだった。風呂からあがって食卓に目をやると、きつね色にこんがり極まったチキンカツと、それを引き立てる瑞々しい色の野菜が皿を飾り、その手前にはご飯茶碗。今夜はいい食卓だ、とワクワクが自然と顔に出てしまう。早く食べたい一心で、まだせわしなく動く妻のサポート入って素早く食卓のセッティングを済ませ、二人向かい合わせで椅子に座り「いただきます」を高らかに宣言した。
チキンカツの衣はサクサクと良い音をたてた。コンディションは最高と言っていい。野菜のシャキシャキも負けてはいない。だが私にとって最も重要なのは、左手の茶碗に盛られたつやつやほかほかの白米だ。なにしろ私は、幼少の頃に白飯の旨さに目覚めて以来20数年、ご飯だけで3杯いけちゃう程の重度の米ジャンキーである。待望の白米を口に入れると、予想を遙かに上回る味わいで私の舌を包んでくれた。
米好きの私がこの状況におかれて、上品に食べ進めることなどできるはずもない。食べ始めはチキンカツをかじってご飯を頬張るというスタンダードなコンビネーションで攻めることができるが、その米の旨さは私の冷静さを少しずつしかし確実に奪っていく。チキンカツとご飯の割合が徐々にご飯よりにシフトしてゆくのに伴って、私のテンションも急激に上昇し鼻息も若干荒くなり、その興奮が絶頂にまで達した頃、私の口にはご飯だけがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。噛めば噛むほど甘みが広がるのだから、甘美という表現は米の旨さを喩えているに違いない。うおおおおおお今日の米ちょおおおおおうめええええええ。
我に返った時、左手に握られた茶碗には粒ひとつ残されてはいなかった。私はふふっと笑って、今日もご飯美味しいね、と妻に伝えた。妻は微笑みをたたえておかわりをよそい、それを私に手渡して呟いた。「そんなにお米が好きなら、明日の夕食はおかゆライスね。」