今日の夕飯はチキンカツだった。風呂からあがって食卓に目をやると、きつね色にこんがり極まったチキンカツと、それを引き立てる瑞々しい色の野菜が皿を飾り、その手前にはご飯茶碗。今夜はいい食卓だ、とワクワクが自然と顔に出てしまう。早く食べたい一心で、まだせわしなく動く妻のサポート入って素早く食卓のセッティングを済ませ、二人向かい合わせで椅子に座り「いただきます」を高らかに宣言した。
チキンカツの衣はサクサクと良い音をたてた。コンディションは最高と言っていい。野菜のシャキシャキも負けてはいない。だが私にとって最も重要なのは、左手の茶碗に盛られたつやつやほかほかの白米だ。なにしろ私は、幼少の頃に白飯の旨さに目覚めて以来20数年、ご飯だけで3杯いけちゃう程の重度の米ジャンキーである。待望の白米を口に入れると、予想を遙かに上回る味わいで私の舌を包んでくれた。
米好きの私がこの状況におかれて、上品に食べ進めることなどできるはずもない。食べ始めはチキンカツをかじってご飯を頬張るというスタンダードなコンビネーションで攻めることができるが、その米の旨さは私の冷静さを少しずつしかし確実に奪っていく。チキンカツとご飯の割合が徐々にご飯よりにシフトしてゆくのに伴って、私のテンションも急激に上昇し鼻息も若干荒くなり、その興奮が絶頂にまで達した頃、私の口にはご飯だけがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。噛めば噛むほど甘みが広がるのだから、甘美という表現は米の旨さを喩えているに違いない。うおおおおおお今日の米ちょおおおおおうめええええええ。
我に返った時、左手に握られた茶碗には粒ひとつ残されてはいなかった。私はふふっと笑って、今日もご飯美味しいね、と妻に伝えた。妻は微笑みをたたえておかわりをよそい、それを私に手渡して呟いた。「そんなにお米が好きなら、明日の夕食はおかゆライスね。」