「カンディード」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カンディードとは

2019-07-06

アンチ異世界転生チート小説を読みたい。

冴えない男がトラックに轢かれ異世界にいったら

なぜだかチート能力を身に着けて無双してハーレムを築く物語

あるいは文明文化知識の水準が異様に低い世界に来て、

そこで現代地球知識披露し称賛される物語

こうした展開の小説は氾濫し、もはや食傷気味でしょう。

異世界ハーレムもの」、「なろう系」という言葉

揶揄レッテルとして機能するくらいなのだからアンチ異世界小説というのも、

たぶん出回っているころだろう。そういうのを読んでみたいのであれば教えてほしい。

例えば、「異世界に行ったがこれといった能力など芽生えず、冴えない頭と鈍った体で

働いてみるもやはり上手くいかず、人々から馬鹿にされ、異世界に来てもオレは報われないのかと嘆く。

しかし、そこで初めて前向きに努力し生きることを学び、ささやか成功をつかむ、

ヴォルテールカンディードラストのような展開になる物語。」とか。

あるいはジェームズキャメロンアバターや、ディズニーポカホンタスのように

文明知識水準が低い世界に来て、最初は野蛮な原住民どもと侮るものの、

しろ未開人の彼らの生活から学び、魅かれていく。」とか。

2008-03-02

勝ち組という古典的なデマゴーグ

勝ち組」の代表格に勝間和代という人がいる。いや、別にこの人だけを槍玉に挙げるつもりはないのだが、あまりにもわかりやすかったので。

やたらとポジティブ自己啓発書を次々と出しておられる方だが、やっぱりこういう人だったか。以下の記事の末尾を参照。

座右の銘は、「起きたことはすべて正しい」。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yw/yw06112601.htm

来たよ来たよ。要するに "This is the best of all possibile worlds" というやつですな。何百年も前に使い古された「最善説」というやつです。本を月に何十冊も読む(上記記事参照)のなら当然ヴォルテールカンディード」なんて小説なんかも読んでるんだろうね。フランスなんかだと古典教科書として国語の授業で教えられるような本ですよ。もう一度読みなおすことをお勧めしますよ。この方が既に以前に指摘していることですが、もう一度書かねばなるまい。

この「カンディード」という小説のなかにこんなくだりが出てくる。d:id:hokusyu:20080112から孫引き。

ジャックという商人の、戦争財産を巡る争いを見るに人間自然堕落させたのではないか、という質問に、パングロスはこう答えます。

「そうしたことはすべて必要不可欠だった」と片目の博士はすかさず言い返した。「個々の不孝は全体の幸福をつくり出す。それゆえに、個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善なのだ」

ちなみにジャックリスボン沖で溺死するのですが、パングロスは「リスボン沖の停泊地はあの再洗礼派の男(ジャック)が溺死するように特別につくられたのだと証明」するのです。

もはや説明は不要であろう。これほど「勝ち組」のネオリベ思想を的確に風刺した表現はそうないのではないのだろうか。

ちなみにこの「カンディード」という小説は、このパングロスを天才的哲学者と信じて馬鹿正直に信じたカンディードという純朴な青年が、世の不条理と師の教えの間の葛藤と戦いつつ、幾多の悲惨な体験を乗り越えて精神的自立を達成するに至るまでの物語、というわけなのだが、この小説が書かれたのは二百五十年前なのである。努力によって自分を向上させることが大好きな「勝ち組」の頭の中身というのは、どうやら二百五十年間進歩しないものらしい。

さて、上に引用したくだりをもう一度読みかえした上で、ロスジェネに関するこれにはじまる話題、たとえばこれとかこれを読みかえしてみてほしい。あまりにもこの小説と構図が似ていないだろうか。このような形で見せられれば誰でも、「自己啓発」の限界馬鹿馬鹿しさに気付くのではないか。結局「自己啓発」というのは世の中の仕組みを全て肯定して不問に付した上で「全ては自分次第でどうにでもなる」という、あまりにもナイーブな思想なのだ。もうそろそろいい加減そのことにみんな気付いてもいいのではないか。

この小説の結論では次のようなことが語られる。あまりにも単純で、まともな大人なら誰でもわかっているはずのことだ。

正直者が報われるとは限らない、全てが必要不可欠で正しいなんてことはあり得ない。世の中は理不尽で満ち溢れている、しかしその中で自分なりに細々と努力して生きていくことこそが唯一の「人生を耐えられるものにする手立て」だということだ。そして、そのことについて他人がどう論評しようとも、すべてはどうでもよいことなのだと。

言いかえれば、「自己責任」だとか「自己権利」なんてものはどこにも存在しないのだ。健康環境才能努力と時の運、それらを全て兼ね備えたときにだけ「成功」ができるし、「責任」があるとすればその「努力」の部分だけだ。それに、その「努力」さえも、「健康」と「環境」がなければどうすることもできなかったりするものでもある。その辺の複雑なことは自分にしかわからない。一般的に「負け組努力が足りないから自己責任」なんてことが言えるはずもないのだ。

なんでその程度の平凡な理屈が誰の口からも出てこないのだろう?自己啓発自己啓発といって騒いでいるはてな民は、自分の努力だけでなんでも解決できると思ってるのだろうか。だとしたら随分、挫折を知らないお坊ちゃんお嬢ちゃんだとしか言いようがないのだが。

ちなみに「ルサンチマン乙」と言われないために言っておくが、俺自身はどちらかというと「勝ち組」に属する人間だし、才能のない俺にとっては努力だけが切り札だったことは理解しているつもりだ。しかしそれでもなお、いやそれだからこそ、努力だけで全てが解決できるなんて素朴すぎる発想にはとてもついていけないのだ。

2008-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20080222203149

カンディード』を読め、『カンディード』を。

艱難辛苦の結果にたどりついた小さな庭。あれが結婚だ。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん