「アキハバラ」を含む日記 RSS

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2007-08-24

いちオタ増田の思うこと。

さて、同人誌作家が“わいせつ”で逮捕されて、警察は委託ショップと印刷所も関与したとして追求していうく方針だというニュースが流れているわけで。

この夏のコミケ前に日本同人誌印刷業協会は独自のガイドラインを「各サークルへの要請」という形で発表し、実際、成人向ジャンル入稿に関しては従来より厳しい措置がとられた。

今年に入ってコミケや委託ショップの側でもシンポジウムを開催するなどして、同人誌における表現についてのアピールを行っていたにもかかわらず、このタイミングで“著作権”ではなく“わいせつ”での逮捕に踏み切ったということは「お前等オタク自主規制だのなんだの抜かしても関係なくやるよ」という意思がみてとれる。

所轄は異なれど、まったく同時期に唐突にビデ倫にガサ入れというニュースもあわせて、陰謀論じみた大きな動きを感じざるをえない。こわい!官憲こわい!ひー!

で、ここで蹂躙されているものこそが「アキハバラ精神」とやらではないかと激しく思うのですが、その解放を声高に叫んでおられた団体の皆様におかれましては、いままさに危機に晒されんとする同人誌の表現についてアピールをするどころか、おマヌケな内ゲバごっこのあげく僕達普通ヌルオタに戻りますってな発表ときたもんだ。

こんな連中が「アキハバラ解放」とか訴えていたと思うとゾッとするね。自分の考えで動けない奴、踊らされるのが好きな奴を否定はしないよ。でも誰に踊らされるかは考えようぜってこった。

いざ「アキバの危機」ってときに何もしてくれないどころか、過激派ゴッコに明け暮れている様な連中の指揮で何が主張できるというのか。今回の事件に対して正当なアピールを行おうとしても、色物に見られるようなことになれば、アキバ解放どころか背後から一斉射撃食らってるようなものですよ。

踊りたければ、ウヨだのサヨだの邪念のある連中とは関係なしに、オタパレードなりなんなりするべきだったと思います。ニコニコ動画でのダンスだの、フラッシュモブだのいうイベントの高揚感と達成感は否定すべくもないんだからさ。その楽しさをアホな連中に利用されるなよ。

最大の敵は、バカな身内とはよくいったもので…徹夜行列コミケ運営に負担をかけるのもオタクなら、キセル自慢で晒されるDQNもまたオタクなんだ。悲しいけどこれが現実

このままじゃ何かがダメになるよ。だから、口パクパクの鯉でもかまわないから、少しだけ、自分達の好きなものを傷つけないためにはどうすればいいのか、みんなも考えてください本当に!!

あと、昨日の増田で話題になっていたドラ最終回よりもエロを取り締まれっていうのは、自分が嫌いなものを切り捨てる、という発想にしかみえない。自分は藤子ファンかつ、エロ同人誌にはあまり興味がないオタクだけど、それでも「エロなら取り締まっていいですよ」という生贄のような態度は、同人誌文化を考える上では正しいものとは思えません。

そもそも著作権とわいせつの事案は全く別物であるけど、少なくともコミケという場においては「ドラえもんエロパロ子ども達に影響を与える」ようなことがないような運営が心がけられているし、委託ショップなんかも最近は神経を使っている。違法なスキャン掲示板うpされるとか、そういうところから問題になることが考えられるけど、これはネット利用のゾーニングの問題だと思います。

アレなら取り締まっていいよ」ということをしてしまえば、そこから綻び始めて、気がつくとその影響は自分のいる場所にも及ぶでしょう。そうならないためには、表現への寛容さを維持しつつ、その影響が及ぶ範囲を意識して個人個人が律する、すなわちコミケ精神そのものが求められる……ということで、オタクのみなさん、文化が無いとか寝言をいう自称ジャーナリストもおられますが、とんでもない。

自分達の愛する文化を誇れ、だからこそくだらない利用のされ方をするな。と主張したい。とりとめもない長文で激しく主張したい。

以上、いちオタ増田が思うことでした。

2007-08-23

kanose氏がJSF氏を批判する根拠にしていた、new氏の最近コメントの件

ARTIFACT@ハテナ系 - アキハバラ解放デモ実行委員会コミケ襲撃未遂事件についての疑問。JSFさんはコミケスタッフをやっているnewさんの記事に何でコメントしないんだろう (魚拓)

J& blog http://new.ciao.jp/: 1日目は館内スタッフとして動いていた私なのですが……。 (魚拓)

こんばんわ、初めまして

東6スタッフですw

えと、当然(?)の事ですがこのこと自体知っているのが

ブロック長とその上の人間数名です

ってそんなん書いてる時点で私が誰かばれる可能性が高くなるのですが(;><

ブロック員にはサークルトラブルがあるので注意してくれとだけ

他のブロック員には何も言ってないので知らないかと思います

まぁ色々とあったと言うことで頼みますw

Posted by: : 20070822 23:27


ここで東6スタッフ「らしき」人物の書き込み。それに対してnew氏は、

どうも、書き込みありがとうございます。すみませんヘンなエントリー上げちゃいまして……。あと、私についてもmixiに同じ名前で登録していて、「風のクロノアコミュニティ管理人なので、そこから辿って行かれると多分私が誰か、東6ホールの方なら推測がついちゃうと思います(汗)。タコ殴り件を発行しましたので、今度の拡大集会の時1発殴りつけてやってください、ホント、お騒がせして申し訳ございません……。

ブロック員にはサークルトラブルがあるので注意してくれとだけ

あーこれは私が知っている情報とほぼ同じですね。

>まぁ色々とあったと言うことで頼みますw

こちらこそお騒がせして申し訳ございません。この件に関してはもうこれ以上何も言わない予定です。かさねかさね失礼しました……。

Posted by: new : 20070822 23:51


という奥歯に物の挟まったようなコメントを書き記す。さらに続けて、

あと、この件で私に対して何かありましたら、mixiメッセージ

http://new.ciao.jp/mail.htm

こちらのメールアドレスへどうぞ……!こういうパブリックコメント欄意見を公開するのはリスクが高いと思うので……。

Posted by: new : 20070823 00:09

2007-05-29

ある意味情けない大人達 アキバに現る

新生秋葉原 アキハバラスレッドPart.24

424 名前:名無したちの午後 投稿日:2007/05/29(火) 18:31 ID:UeaGX9QX0

今日の16時過ぎにとら1号店の同人誌フロアを巡回してた

明らかに客層とは違うオジサンオバサン10人以上の団体って、

その手の規制のための視察に来てたのかな?

見本誌をあれこれ手にしながら、18禁マークを指差したり

困ったもんねえとか(聞き違いでなければ)言ってたっぽいんだけど・・・。

425 名前:名無したちの午後 投稿日:2007/05/29(火) 18:38 ID:fNYTHgq70

>>424

俺も見た。

しかも4Fで「まあ、破廉恥な…」とか「いやらしい」とか仲間内で

大きな声で話しながら何かの同人誌を一冊買って帰ってたよ。

恐らく何らかの規制団体だと思うが、とらも注意するか何かしろよ…。

立場上、一応客なので何も言えないのかもしれないが…。

426 名前:名無したちの午後 投稿日:2007/05/29(火) 18:53 ID:yITGsgbG0

いい歳してそんなくだらないのが仕事なおっさんおばさん集団もこまったものねえ

428 名前:名無したちの午後 投稿日:2007/05/29(火) 19:59 ID:ILDNxG/y0

こういう規制団体に所属してる親の子供ほど荒れてる法則

後々、良い歳した連中が「秋葉原ではこんなものが売られてるんです!」

って喚きたてるんだろうか?(この店では既に年齢確認は厳格に行われているし)。

それにしてもこのオジサンオバサン連中は他にやることが無いんだろうか?

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

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