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はてなキーワード: まだ最悪ではないとは

2021-03-02

anond:20210302164259

日本人の言う「甘えが許されない」は「最悪と言えるうちはまだ最悪ではない」のと同じだ。

それが言えている内は甘えている証拠だ。

本当に甘えの許されない社会では人々は抜き差しならない状況を除いては人々は基本的におとなしい、

おとなしいといっても日本のようなのではなく要するにイキったり無意味罵倒をしたり虚勢を張ったりしないということだ。

2018-01-17

どん底ではないという意識の辛さ

自己紹介をさせてほしい。

はいわゆるワーキングプアだ。年収は税コミで280万。

25歳で女ということを鑑みても、東京では低賃金労働者の部類だ。

では暮らしぶりはどうかというと、さほど困窮しているわけでもない。友人とルームシェアをしているので住む場所はある。三度きっちりと食事をとる。週末は友人と飲みに行くこともできる。それこそブランド物の服やバックは一つも持っていないが、着るものは一応ある。

では何が不満なのか。そのままワープアでいいじゃないか

その通りだと思う。現に私は生きているのだから

だが月並み言葉だが、何かが足りない。衣食足りて礼節を知るとはいうが、本当にそうなのだろうか。

倫理道徳以前に、今の私は他人のために割くメモリがない。なずむような現実をただ過ごしていくのでいっぱいいっぱいだ。

「憂いも辛いも食うての上」とはよく言ったもので、しかしこれが最も心を腐らせる。

下手に生きているから苦しいのだ。「まだ最悪ではない」「食っていけないわけではない」「赤貧ではない」「仕事やりがいがないわけではない」という「ではない」意識を積み上げているうちに、「生きている」から「死んではない」という状態に爛れるのだ。

消去法的に自分定義していくうちに、今後どうありたいかを考えなくなった。

多分もう、何にもなりたくないのだと思う。

それでも自分であることを止めるほど、今の状態どん底「ではない」と思うのだ。

2009-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20090129235332

それはまだ最悪ではない。最悪なのは

「すぐ飽きるから遠くの山に捨ててた」

「すぐ飽きて気がつくと餓死」など。

その人は飽きるのが分かってて飼わないのだからそれは身の程をわきまえた人。

  

ペット病気になって、例えば犬なら散歩も出来なくなって寝たきりで最後は家族の前で息を引き取りました、みたいな話があるけど、

苦しがっている犬を人間エゴで延命させて最後生き物らしい生活もさせないまま死んでしまった、という言い方も出来る。

その犬は幸せと言えるんだろうか。人間の方は満足したかも知れないけど。

 
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