2018-01-17

どん底ではないという意識の辛さ

自己紹介をさせてほしい。

はいわゆるワーキングプアだ。年収は税コミで280万。

25歳で女ということを鑑みても、東京では低賃金労働者の部類だ。

では暮らしぶりはどうかというと、さほど困窮しているわけでもない。友人とルームシェアをしているので住む場所はある。三度きっちりと食事をとる。週末は友人と飲みに行くこともできる。それこそブランド物の服やバックは一つも持っていないが、着るものは一応ある。

では何が不満なのか。そのままワープアでいいじゃないか

その通りだと思う。現に私は生きているのだから

だが月並み言葉だが、何かが足りない。衣食足りて礼節を知るとはいうが、本当にそうなのだろうか。

倫理道徳以前に、今の私は他人のために割くメモリがない。なずむような現実をただ過ごしていくのでいっぱいいっぱいだ。

「憂いも辛いも食うての上」とはよく言ったもので、しかしこれが最も心を腐らせる。

下手に生きているから苦しいのだ。「まだ最悪ではない」「食っていけないわけではない」「赤貧ではない」「仕事やりがいがないわけではない」という「ではない」意識を積み上げているうちに、「生きている」から「死んではない」という状態に爛れるのだ。

消去法的に自分定義していくうちに、今後どうありたいかを考えなくなった。

多分もう、何にもなりたくないのだと思う。

それでも自分であることを止めるほど、今の状態どん底「ではない」と思うのだ。

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