法と言うのは文学と違って、現代数学に類比した、精緻に構成された理論を前提とし、 三段論法を用いることで、色々な分野の法から様々な規定を引っ張って来て
適用したりして結論を出すものである。 具体的には、判例時報などの新聞によって、販売される(800円)
拘置されている者は、時事に関する事項を総合して報道する通常日刊新聞を閲覧することも許可されているが、実務上は、勾留されている者は、新聞よりも、
自らの裁判を有利に展開するために、種種の判例や運用に関する情報を居室内に必要としている。しかし、弁護人や面会者はそうした情報を印刷するなどしてもってきてくれる
ことはない。面会室は、事務棟の右側の上階にあるため、面会者や弁護士は、30分を下回らない範囲内で、そこで面会をし、差し入れをすることができる。
しかし近年の一般的な傾向として、誰も差し入れに来ない、弁護士がきても、話を聞いていないのが現状であり、なおかつ、東京の場合、法のいいところは何も残っていなく、
結局、 1秒から5秒 または、 1分から2分、 最大でも、10分の間に何を(強く)しているかを見ているようであり、罠にはまって手続きを終えて起訴された子供に
刑事記録が差し入れる頃には、ただの脅しになっているというのが実情である。また、裁判に関しては、ただの劇場、みもの、と言った感じで、そこで言えることはほぼ決まっており、
最初から決まったことしか言えないようになっている。そこにひそむ正体について、幼稚なものを憎しみ狂う法曹関係者の怨念とか、興味本位で傍聴している者に対する披露といった
くだらないものがあるだけで、被告人の方も、全てを諦めて決まったようにして、早期に釈放された方がいいという選択肢をとるしかないようになっている。