かなり遠い場所にある図書館の本をそこで取り寄せできるおかげでものすごく便利なんだが
その差別問題と直接的になんも関係ない自分がこの便利さを享受してるのはどういうことなのかと思う時がある
もちろんセンターの建設費は自分の払うわずかな税金が一部利用されており行政サービスの受益者であることからそこを利用するのは当然の権利なのだが
人権センターが出来たのは被差別民たちが差別に打ち勝った証でもあると同時に、そもそも差別がなければ人権センターは建てられなかった。
差別による不平等にも闘争にも全く直接的なかかわりのない自分にとっては自分のこの便利さと直接リンクしているのはむしろ差別問題が存在していたことになるのでは?
これが自分が被差別側であるとか、被差別者に連帯する活動をしてきただとかなら素直に戦いの成果として便利さを享受してもいいのかもしれないが……
その差別問題というのの本質としては、この国全体としてその差別問題の加害者的側面があって、自分もどちらかといえば積極的に被害者側にコミットして寄り添う活動などしていないので
話を聞けば同情心くらいは沸くがそれ以上のなにかをするまでに至るような関心は全く無いのだから間違いない。
自分の税金が使われておりサービスを利用する権利がある以上これからも利用する。
なんとなく矛盾と後ろめたさを感じながら。