政治家の裏金のニュースが世間をにぎわせている。このニュースに怒れる国民は多いが、しかし政治のこの状況を作り出しているのはほかならぬ国民なのではないかと感じる。それは、一つには、彼ら政治家は結局のところ選挙によって選ばれているという話であるが、それに加えてもう一つ強く感じることがあって、それは政治家の恣意的なルール違反に怒っている国民たち自身が、恣意的なルール違反をしているということだ。
いきなり話が変わるが、世間に目を向けてみれば自動車で速度違反をしている人はいくらでもいる。彼らは「みんなやっている」「ちょっとくらい大丈夫」「本当に安全な速度は自分こそが分かっている」などと抗弁し、果てには摘発する警察を非難したりすらもする。法律で明確に決まっていることに対し、何やら法律を超えた“世間”の常識があると主張するのである。
またもや大きく話が変わるが、精神障害の一つに発達障害という障害がある。もはや広く知られている障害かもしれないが、この障害を持つ人々は社会的に不適合を起こすことが多い。そして、この障害のうち特定の種類を抱える人々は、そうでない人々に対して「ルールを遵守する」「正義感が強い」傾向が強いという研究結果が得られている。そしてその結果、社会との不和が生じているともされる。つまり、ルールをしっかりと守ろうとすることは、この世の中では正常ではないとされ、社会から排除される原因になるということなのだ。
これらの話と政治家の金の問題は通底していると思う。事の重大さが異なる、と言う人がいるかもしれない。あるいは、表面的には全く別の事象だと捉えられるかもしれない。しかし、ここで言いたいのは「ちょっとしたルール違反を許せ」という世間一般の風潮の延長線上に、この政治家の問題が起こっているのではないかということだ。「ちょっとくらい良いだろう」「みんなやっている」「これが“世の中”の慣例だ」「細かいことをあげつらうな」「潔癖では世の中は成り立たない」……
それでいいと思うけど突き詰めると罪を犯したことの無い者だけが~ってなるよな