「本物の知恵はトーラーにしかない」と聞いて、本当にそうだと思っているので、トーラーをまた読み始めました。
ただ悪魔が生み出してきた数々の邪悪な産物を見極める目を持たないと、追いやられてきた古き善きものがなんであるかもわからんと思うわけです。
数学が悪魔の産物であるかはわかりませんが、悪魔の産物を分析するためのツールではあると思うことがあります。
しかし分析にしろ発明にしろ、それが善と悪のどちらのサイドの手によって使われようとするのか、よくわからないのです。
「増えた言葉は悪人の手にも渡ることを忘れるな」といったことを考えると、わかりやすくおいてある方が危険なのでしょうか。
それともわかりやすくおいてあれば、悪が庶民に周知され、悪魔の技術は廃れ、善いものが戻ってくるでしょうか。
私は悪は庶民から隠されていると思うので、分析して暴くことはある程度許容されると考えています。
ところで、私と同じように、血気盛んな若いときは多くの人が左翼的な人間で、退屈なものを嫌い、目新しいものを探していたことでしょう。
ところが思うわけです。猫が、最新の毛玉を見つけて、好奇心の赴くままに遊んでいる。それがどうしたのか、と。
趣味は人それぞれかもしれませんが、SDGsといっている左翼こそが消費社会を過剰にサポートしているように見えてくると、もう疲れるのです。
昨日も左翼テレビが「手持ち扇風機は夏の必須アイテムランキングに入っている」などと言っているのを見てしまって、本当に嫌になりました。