これではっきりとわかった。Twitterに生きる者は還るべき現実を失っている。
日曜。暗い部屋で独り、動かない空っぽのTLを眺める。彼らは、依然として弱い紐帯の強みにしがみつく。それ以外に喪失を埋める術を持たないためである。
彼らはTwitterの注釈なしで現実を見られない。現実を引用するTwitterは確かに現実的であり、それこそが彼らの現実であった。
昨日の出来事は一時的な処置であるとはいえ、彼らにとってはハルマゲドンであった。彼らの世界は突然に滅んだのだ。
まずは否認し、つぎに怒りに震え、さらに他のサービスで代替しようとし、やがて喪失を確信し、最後に絶望する。受容までの道のりは険しい。さながら、帰らぬ伴侶を想う未亡人のように、自身の偏執さを呪い、無能を悔やみ、人生で一番つまらない日曜を過ごす。
翌日には、ぼんやりと死人の顔をして出勤する。そこは浮ついた偽物の世界である。フィルタのないタバコを吸って咽せるように、彼らはまだ冷たく動かないTLに逃避する。
宇宙空間で声は聞こえない。辛うじてクルーに無線が届くばかりだ。しかしそのクルーも姿が見えない。宇宙ではぐれれば、もはや会うことはない。孤立無縁で宇宙に漂うことになれば、最期は寒さと飢えに喘ぎながら死ぬ運命だ。
いつか全てを失うのではないか。
震えながら疑問を飲み込む。しかし、もう戻れない。
それが彼らの今である。