人種差別を肯定する内容の作品が社会に許容されないように、AI生成の児童ポルノなども決して存在を認めてはならない。
理想としては「創作と現実を別物として扱う」ことが望ましいが、これは第一種の合理性であって、実際は人間は混同するのだ。
この人間の混同する限界性を考慮するなら、「現実でダメなものは表の創作でもダメ」にするのが第二種の合理性ではないだろうか。
先日、「アパート大家が老人・外国人・精神病者を入居させない」との匿名記事が話題になったが、その中で「この文章をきっかけに読み手のステレオタイプが拡大され同様の行動に至ればそれは立派な差別の助長」という意見を知った。これは納得できる。
『キャプテン翼』をみてサッカー人気が高まった諸外国もあり、創作と現実は分離できないものだ。
同じように、創作においてAI生成の児童ポルノを認めることは、案に現実世界にも影響を及ぼす。
よって児童ポルノを肯定する内容の作品は、創作であっても公共社会から滅さなけばならない。
どうなの?
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「子供でもダメなものは大人でもダメ」とした方が合理的。 対人セックスを禁止すべき。 空想表現ならロリでもリョナでも許されるんだから何も無茶なことは言ってない。 空想表現だ...
なお戦争は必要なことなのでやっていいものとする
空想表現だけで満足出来なくて、「大人同士で丁寧に同意を取り付ける」という妥協をしてまで絶対に対人セックスをしないと気が済まないっていうのは、やっぱり病気だと思うんだよ...
ショッカーと戦うライダーは私刑してるだけなので悪 なおショッカーは強すぎて政府も手が出せないものとする