2023-02-08

においの言語化は難しい。

既に表現が固まってるものはもちろん簡単だが、そうでないとなかなか伝わる書き方を捻り出せない。

たとえば俺がサイクリングで走るいつもの道のある区間で感じられる匂いは、青臭いのだが、じめっとした土っぽさを彷彿される苦味の混ざったような感じの青臭さだ、というふうにしか書けない。

富士樹海散策してるとき通常漂っている匂いという言い方もありそうな気がしたが、どうにもあの甘い感じもする心地よい匂いとは違うのだ。おそらくそっちの表現採用しても読み手には俺が感じたのとは全然別の匂い喚起させるだけだろう。リアリティーがない。

そういうわけで俺は匂い言葉に落とし込める人を尊敬する。

理屈を言うというときは俺ぐらいの人間でもすらすら言葉が出て来るが、こういう五感言語化は難しいものだ。嗅覚視覚はその双璧じゃなかろうか。

世の中ネット理屈とそれによるぶつかり合いに溢れている。理屈めいた文章供給過多でみんな飽き飽きしてるのだと思う。

ちなみに視覚表現も同じぐらい難しい。これはその表現されたもの理解することが俺には難しいことも関連してるのかもしれない。

たとえばジャイロスコープがなんのことか分からなかったときにまず百科事典を見て見たら

「互いに直交する三つの軸の周りに回転する金属環の内側に支え」なんて具合だ。どんな状況かなんとか頭の中で軸と輪を独楽の組立てを試みるが、なかなか記述整合するものが出来上がってこない。智慧の輪でも解いているようなそんな気分だ。

理解出来ない表現と同様の表現は書くこともできないみたいなやつだろう。特に外国語学習でよく言われるようなことに通じてるのかもしれない。

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