自殺未遂の解像度を指摘するのがまずズレてんの。自殺未遂を持ち出してきて自殺と同列にした上で曲解してたから「それらは別(同一のものではない、ということです。分かりますか?)のもの」と言っただけ。ってさっきから言ってんのにそこを無視して話ずらしてばっかだよね。
自殺には成功率1%の方法しかないんですか?「自殺は100%の確率で死ねるわけではなく、中には成功率が極めて低い方法もある」という事実は「人は自分の意志で死ぬ事ができる」という事実を何ら否定しませんよ。こう言うとケチつけるだろうから「人は頭の弱い手段を選ばなければ自分の意志で一定程度以上の確率で死ねる」って言ってもいいけど。分かるかな?この理屈。
「自殺は別に死ぬ過程をじっくり味わう訳でもなくて結果を求めてるんだから」というのは文脈を読めば「自殺とは死ぬ過程をじっくり味わって楽しむ事を目的とするのではなく、死という結果を獲得する点に意義がある」って意味に読めると思う(読めて欲しい)んですけど、それに対して「自殺は死ぬ過程をじっくり味わざるを得ない辛いものだからこそ、それを極力減らすのが安楽死の意義だ」って反論するのは的外れなのが普通に考えて分からんかね?