2022-11-11

後悔

それに気付けなかったのは、私の夢が医師になることだったから。

まあ、医師になる夢に反対する親ってそういないよね。

違和感を覚えたのは、1浪目のセンターで大コケして、別の学科受験しようとしたときのことだった。

第2志望校までは国立医学部。第3志望校は、国立理系生物系の学科だった。

そこが第3志望だったことは母親も前から知ってるはずだった。話もしていたし、願書も取り寄せていた。

センターが終わった後になって、母親は「そこに行かせる金はない」と言い出した。

はじめて言った。

センター直後のそのときになって初めて!

それまで時間はいくらでもあったのに!

母親ははじめて見る無表情で「県内で、国家資格が取れる学部じゃないと受験させない」といった。



私も私で馬鹿だったと思う。

本当に馬鹿だった。

受験で疲れていたのもあったけど、まだそのときの私は『母親は正しいものだ』と盲信していた。

それに、未成年の子供にとって教育費をかけてもらったという恩は、あまりに重かった。

私は受け入れてしまった。

そこからは泥沼だ。


今思えば昔から、私の意見なんて聞いてくれなかった。

反論したところで話し合いにはならなかったし「◯◯ちゃんが間違ってるのよ」の一点張りで封じ込める人だった。

私は中学生に上がった頃、そうそうに反抗を諦めていた。

疲れるだけだから

無駄から

だけど私の夢を『応援』してくれていたから、私を尊重してくれたと勘違いしていた。

母は、私を応援していたわけじゃなかった。

私の選択尊重していたわけじゃなかった。

母が守りたかったのは私ではなく母自身

ただ『こんなにすごい娘を育てた』という称号が欲しかっただけだった。


それに気づくのに、22年もかかった。

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