2022-06-26

私たち根本的には闘争する存在である

それは何故かと言えば生命歴史の中で直接的な意味でも間接的な意味でも闘争によって自然淘汰の圧から生き延びてきたのが地球上に存在する全生命デフォルトからだ。

根本的に闘争をする存在でなければならないしその闘争に生き残らなければ現世まで続く生命種としてありえないかである

生命としての活動をするの次ぐらいに生命定義として闘争することは前提条件となっていることなである

そういった前提条件は深く我々の中に本能として影響を及ぼしている。

すなわち敵を見つけることとその敵を滅ぼすことを業として背負っているのが我々である

しかし、ここで異常状態が発生する。

我々人類頭脳を発達させるというチートによって人類発生からしばらくすると「敵」をほぼ制圧してしまったのだ。

その結果、我々は闘争必要性というものを失ってしまった。

だが必要性がなくなったからといってすぐに闘争本能が消えるわけではない。

我々は依然として豊富闘争本能を消費するべく直接的な意味でも比喩的意味でも闘争を求めるあまり存在するわけもない敵を創造しその敵をぶち殺すべく今日邁進するである

そういう状況であるからコミニティの敵のようなものが出現したときには嬉々として闘争へと馳せ参じるわけである

これは昨今の国際情勢を見てもらえば容易に納得できることだと思う。

そして海外に目を向けなくても我々自身、いや私自身が常に人生における直接的あるいは間接的もしくは比喩的闘争を求め続けているのは言うまでもない。

からこそ。

闘うことは止めなければならない。

居もしない敵をつくりあげて闘争することはやめなければならない。

そしてチンチンを舐めてと言ったらすぐに舐めれる人間になって欲しい。

フェラはしない、とかそういう意識高いのは人が闘争を求めるがゆえの本能なのです。

わかってください。そして世界平和を…。

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