2022-06-25

人生は繰り返しである。その繰り返しの中で最適解に到達することで新しいステージへと移り、その新しいステージで再びルーティン発見して、そのなかで新たな最適解を発見して……とこれもまた繰り返しになる。

トム・クルーズが主演で日本小説原作となった死んで覚える映画のわかりやすいところは

最適解に到達しなければ、死ぬ、ということだ。

死ぬ死ぬことの痛みを伴いつつリセットされて再びスタートへと戻る。

すなわちそのゲーム参加者は失敗したことを知るのである

 

我々が生きる、この繰り返し世界映画の中でメタファーとして描かれる繰り返し世界との相違は

1.全く同じ時空の繰り返しではないということ。

2.失敗か成功か?が明確ではないということだ。

 

1#.現実世界での繰り返しというのは、ほぼ同じように感じるが実際には同じことの繰り返しではない。

しかし、ほぼ同じなので蓄積された経験から改善を図ることは出来る。

 

2#.この部分が難しい。何を持って成功とするのか、失敗と判断するのか、がプレイヤーに委ねられているからだ。

現実世界成功を収める人というのはこの部分がかなり明確でハッキリとしている人たちなのだと思う。

ある解釈では負けだが、ある解釈では勝利とも言える、というような観念的な考えに走る人はなかなか明確な成功をおさめることが出来ないだろう。

 

トム・クルーズ映画のように、

全く同じ繰り返しの世界

死というハッキリとした判定で失敗を知ることが出来るのなら

人生はもう少し明確でクリアーなものとなるのだろう。

 

おなじ繰り返しものでも「恋はデジャブー」のほうがもう少し人生に近いのかもしれない。

主人公はひたすら同じ毎日を過ごすのだが、

そもそもその繰り返しの世界から抜け出す方法があるのかどうか?ということすらわかっていない。

ゲームクリアー条件がわからない、というよりそもそもクリアー(次の日の朝を迎える)出来るのかどうかがわからないのだ。

こういった勝利条件が明確ではないし、解脱(次のステージ到達する)出来るか?というより解脱という概念すらわからないところは現実味が強い。

 

どちらがより優れた映画なのか?はわからないが

より好きなのは「恋はデジャブー」のほうだ。

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