2022-05-11

生きていれば丸儲けなんて言うけれど

から悲しいニュースを目にしてしまい、衝動的に日記を書いている。

何があってどんな思いだったかなんて、本人にしかからないだろう。

人が自ら死を選ぶと裏があるのではないかと騒ぎ暴こうとする人が出てくるが、それを言ったところで故人は戻ってこないし、悩んだ末のその人の決断蔑ろにする行為ではないだろうかと私は思う。

事件性があるのならそれは警察司法領域であり、伝えたい何かがあったのならそれは報道領域である。ただ画面の中のあの人を見ていた第三者の私は死を悼むしかない。

自死はいけないこと、その前に何か手段があったのでは、なんて人は言う。

LINEメール電話など様々な手段相談窓口があり精神科も増えている昨今だが、結局のところ困り事を話したり、薬を飲んだり休んだりはできても、自分の悩みを誰かが解決してくれる訳では無いのだ。

芸能人一家大黒柱など、様々な属性ゆえにそもそも福祉に繋がることも躊躇われたり、自分解決せねばと抱え込んだりしてしまうこともあるのかもしれない。

流行病で息苦しい世の中も、責任に押しつぶされそうな立場も、自分だけで精一杯な社会も、何もかもが原因に思えてきてしまう。

こうしてあれこれ書いても、憶測であり無用であり今更なのである

私は、社会は、悲しみの連鎖を止めるために何が出来るのだろうか。




亡くなって悲しい、ただそれだけを書くのに長々と駄文を連ねてしまった。

  • コロナで地方営業の仕事が激減して経済的に苦しくなったからでしょう。

    • リーダーも寺門ジモンもカウンセリング受けた方がいいね

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