反論されて初めて言葉足らずな部分に気付く。より自分の主張したいことの輪郭がはっきり見えて来る。
そんでもって新たに付け足すべきことを見出し追記とかトラバとかする。でまた反論される。以降同じことの繰り返し。
対面でも電話でもとにかく口頭でのリアルタイムのやり取りなら相手がこちらの意味を汲み取れてないような返答をしたのを聞き取ったらすかさず「いややそういうことじゃなくて」みたいな切り出しで相手の理解を訂正することを試みられる。
文章だとそのテンポが遅すぎる。ぐだぐだなやり取りの間で自分が言いたかったこともなんかわからなくなっていく。いつのまにか自分にとって重要なことが当初言いたかったことから連想されていったにすぎない感情なり思い付きの理屈を押し通すことに目的がすり替わっていたりもする。
もはや勝っても負けても自分が言いたかったことは相手に伝わっていない。
文章は物事を伝えるのにテンポが遅すぎる。たとえ冷静さを貫いて何度追記に勤しんでも、それは口頭ですかさず訂正を図るのとは根本的に異なっていて。
ようするに文章においては時間経過ごとに文章量を増やせば自分の言いたいことに対して情報の精度があがるもんじゃないってことが言いたい。虚無感。
それでも周囲の少数の人間に直接話して伝えるのでは済まず、多数の人に自分の気持ちを伝えようとしたくなる欲求が勝ってしまう、ジレンマ。
羨ましい気がした。 口頭で返事をする速度では考えをまとめきれず、やり取りを繰り返して出来上がったその場の結論はその場の雰囲気の共同生産物であって、自分の考えとは違ったも...