人生で人と関わりあう事は一般的にとても大切で多くの人はそこから多くを学んで成長する
私自身もその一人だったと感じているけど対人関係全てに疲れて関りを絶って必要最低限の関係になった
こうなった理由が曖昧には分かるけどハッキリと原因は分からない
勿論小さい時や若い時は誰かの役に立つことや困っている人の為に行動するのが好きだった
その人が自分の善意で笑顔になって嬉しそうにするのが自分の事の様に嬉しく感じたから
ただそうして感じ取れるのは単純な喜びだけでは無い事に色々な人と関わる中で気が付いていった
色んな人の喜びの中には利己的な喜びとか色々な喜びがあり、その利己的な喜びには悪意が軽く込められていて人を傷付ける事もある
その事を知った最初は困惑したしすごく悲しくなって自分の善意は状況によっては悪いものにもなると反省して状況を見破れるように努力した
それからなんとか見破れるようになって、誰かの為に行動したらそれを見た周りの人が「自分も」「私も」「俺も」と次々に頼むようになった
勿論出来る限り善意で応えていった、するとその行為に不満を持つ人が現れてもっと良いクオリティにしろと言われてしまい
私は自分は何故この人達にここまでする義理があるのかと疑問を感じながらも努力して更に上のクオリティを目指してやり遂げた
しかしそれでもその人達は満足しなくて何の対価も無しに善意に縋り寄ってきた
そこで私は疲れ果ててしまい全ての関りを断ち切って仲の良い友人とだけ関わるようにしている
私は大勢の人の為に何かをしたかった人間の一人だけど上手くできなかった
これを言ってるからと言って私は自分が特別優しいとは思わない、私は自分の事を人を喜ばせるのが好きな利己的な人だと思う
今はそうした過去の過ちと向き合いながら数人の友達と過ごして自分をゆっくり休めようと考えてる
この経験や他の人生の経験から思った事は人を大好きから人が大嫌いになるのは案外簡単かもしれない
好きだからこそ全てを知ろうとして知りすぎて残酷な部分も見えてしまう
本当に好きならそこを受け入れるべきだと考える自分とひたすら拒絶する自分が対立して自分が何なのか分からなくなる
それを受け入れる為には時間をかけて拒絶する傷付いた自分を慰めつつ人の残酷な部分も受け入れ愛していくしかない
それが出来るようになっている頃には一体私は何歳なんだろう