「元」と言ったのは、いろいろあって失望し、もう推しとは呼べなくなってしまったから。
もっとこうなればいいなって理想もこんな景色見られたらなって夢も何もかも
これ以上言っても仕方ない、理想を押し付ける厄介オタクになってしまうからと降りた。
降りてからは他に楽しめるコンテンツも見つけて、しばらくは忘れて過ごしていたのに
ふとこの「元」推しの門出を祝うファンアートがツイッターで流れてきた時、急に泣きたくなってしまった。
「卒業してからもずっと推しです」「本当にありがとう」とか、そんなツイートとともに載せられる作品にぐさりと刺された気分になった。
ああもうここは、いなくなってからも一途に推していける人だけが歓迎される世界なんだと思って、居心地が悪くなってしまった。
「元」推しのことは本当に好きだった。声も見た目も作品も、代わりはどこにもいないと自信をもって言えた。
グッズもそこそこ買っていた。リプもコメントもピーク時はかなりの頻度でしていた。
それでも自分は最後まで見届けられるファンにはなれなかった。最後まで応援できなかった。
いくら「前は推してました!」って言ったって、そんなの無駄なんじゃないか?
自分は推しに夢を見続けられずに途中で冷めて、離れちゃったんだから。
そういう声が頭の中に響いてくるたび「そんなことない!」と「そうかもしれない」に挟まれて苦しい。
何かで読んだ「大好きだからこそ大嫌いにもなる」って。
実際、ほんとにどうでもいいと思ってたらこんなところで書き散らしたりしない。
それでも「これからもずっと推しです!」て言ってる人たちに混ざって
「大好きでした」なんて言えるわけがない。
このなんともいえないクソデカ感情を引きずっていくしかなかった。
だからここに書き込んで、自分の気持ちを整理して、もうくよくよ考えるのはやめにしたかった。
面と向かって言えなくてごめん。でも大好きでした。
クソデカとか言わんほうがいい。そういうカテゴライズされたものに増田やブクマカはよってたかる習性がある。単なる感想・日記なんだから、気負うことない