2021-01-16

自殺者は社会不要なのだから死ぬべきだったという考え方で救われた

よく考えたらそうだった。

そもそも精神疾患に至るくらいまでため込んでるほうがどうかしてる。

転職転居離婚人生を変える手段はいろいろあるだろうけど、当人が決心しないことには話が進まない。

周囲があれこれいってもどうしようもない。

馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない。

じゃあ、もうしょうがないじゃん。

なりたい自分となれない現状のギャップを強引に埋めようとするから精神を病むんでしょ。

寒い日に外に居座って風邪をひくなら馬鹿だなあで終わるのに、

なんで精神病む話になると10:0の被害者面が許されるんだろう。

パワハラがとか社会がとか世間体がとか、知らんわそんなん。

原因わかってるのに代替模索したり諦めて撤退したりしねえんだもん。

知ってるのは、目の前の現に病んでる人間が、現にこうして周囲に負担をかけていることだけ。

自殺をちらつかせて平日や深夜を問わず周囲を振り回す精神病者の姿だけ。

投薬治療だの、少しずつ復帰しましょうだの、いろいろ呑気なこと言っておいて、結局自殺

何だったんだろうな、あの日々は。

で、増田を眺めていたら、タイトルにも書いた通りの、いかにも増田らしい放言を見かけたわけ。

どうせいつものアウトロー気取りでストレス発散してる荒らしなんだろうけど。

から兄弟から自殺者が出た家庭に育った人間としては、

ああ、それでいいんだ、それでよかったんだ、と思った。

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