2020-06-19

7日後死ななかったカニと2時間で死んだドジョウ

さっき増田知ったから読んできたんだけど

いや食わんのかい

鮮魚の店でドジョウを買って帰った日の事を思い出す

私は小学校2年生だった

海無し県なのにそこそこ新鮮で良い魚を揃えている魚屋

大手スーパーの隣という立地にも関わらず

八百屋肉屋が併設されておりそこそこ活気があった

スーパー駐輪場に出る焼き鳥屋鯛焼き屋目当てで買い物について行った

母は魚屋トロ箱に入っていた活きドジョウをひとすくい買った

緑色プラスチック笊ですくわれたドジョウ我が家のものになった

食べられて死ぬドジョウと生き残ったドジョウ魚屋の手の動き次第で

きっと事故死ぬのもそんな感じだろうなと思ったのを覚えている

ドジョウ不安定ビニール袋に入れられていたので私が持つ事になった

そこでわずかに責任感と、動く生き物の感触への庇護欲が芽生えた

いや嘘だ、それは大人になった自分感性であり私はもっと愚鈍小学生だった筈だ

とにかく私はドジョウを無事持ち帰った

母はドジョウを下洗いし、衣をつけ、揚げ油に入れていった

ドジョウはほんの数センチ油鍋の中を泳いでからぷかっと浮かんだ

私はその様子が恐ろしくて、母に頼んでドジョウを三匹分けてもらった

イチゴの空き容器に入れて飼おう、このドジョウを守ろうと思った

めそめそとしている私を尻目に祖父は揚げたてのドジョウを食べた

祖父っ子だった私もそれに倣って食べた

これが異様においしかった

泥臭さもなくサクサクとして塩だけでも旨味があった

もうドジョウないの?と聞くと食べきってしまったようだ

揚げ油はまだ温かく別のものを揚げている

私は床の間に置いていたイチゴの空き容器を台所に持って行って

「これも揚げて」と言った

私は小2からそういう人間

いただきますとごちそうさまは必ず言う事にしているが

それも行儀ではなくそういう自分を許すためだ

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん