双子のうち少なくとも1人を堕胎させたい増田を読んだ。改めて思ったのは、子供が欲しい人間の自分の暴力性に無自覚なところ、なぜなんだろうっていうこと。欲しくない側がおかしいから、約束反故にしても産んじゃえばどうにかなるとか思ってる?いやいや自分勝手すぎるだろう。
この「欲しい人間の暴力性」は社会のいたるところで見ることができて、たとえば既婚者に対する「子供は?」攻撃もそうだし、自分は子供作らないと話した人への「産みたくても産めない人もいるんですよ」攻撃とかもそう。いや、私達が子供を作ったら不妊で悩む人に子供ができるんですか?そうでないなら黙っていてほしい。なぜナチュラルに 産む>産まない なのか?そして産まない人間には心がなく何を言ってもいいとでも思っているのか? 理解に苦しむ。
子供欲しい人とそうじゃない人が結婚してしまった場合はさらに深刻だ。欲しい側は何とかして作らせようとあの手この手を使って欲しくない側を「説得」する。曰く年齢が迫っている、あなたとの子供がいる生活は楽しいと思った、これからずっと2人で生きていくつもり?
なぜ、人の根本的な考え方や暮らし方に関わることをそんな熱心に変えさせようとするのか。しかも厄介なのは社会的に「子供を作るのはいいこと」なので、本人が他人を変えようとすることの醜悪さや暴力性に無自覚なところ。できちゃえば/産んじゃえばどうにかなるし可愛がるようになると楽観的に考えてないか?人はそんなに簡単に変えられない。自分が子供を欲しい気持ちを抑えられず配偶者を裏切り続けてることを考えたらすぐわかるだろうに。
先述の増田もその暴力性に怒っているように見えたのに、おかしいとか病院いけとか鬼畜とか言葉を失うとか、そんなことがよく言えるなと思う。言葉を失ったまま二度とこちらに向かってこないでほしい。
反出生ブスみたいなこと言ってて草
🐂家畜だモウ
すごいわかる こどもかわいくないって思うだけでもやばいやつ認定されるのもわからん
たぶん暴力はよくないという考え方の方が人間にとってここ百年くらいの一時的な流行に過ぎない思い込みなんだよ。
子供のことに限らず、相手の意思を無視する人間とは早めに別れるが吉。