「事実として存在してるかしてないか」という歴史学的問題より、「強制」という言葉がどこまでを指すかという政治的な問題じゃないのかな。
例えば戦争前後でひどく貧しい生活に陥るなどして、従軍慰安婦として働く以外の選択肢がなくなった場合、それが本人の主観では「強制」と感じるのは普通のことだと思うんだよね。
こういうのって別に慰安婦問題に特殊な話じゃなくて、アメリカじゃ軍人になるしか選択肢がない状況が「経済徴兵」なんて揶揄されてたり。それを「自己責任」と言い切ってしまうのは違うだろうと思う。まあそれ自体の賛否はあれど、少なくとも「人間らしく、当たり前に発生する問題の一つ」ではある。
ただ慰安婦問題のような場合は、「日本政府の責任」とは別に「韓国政府の責任」もあるだろうと思うので、そこも含めて政治的に決着してもらうしかないだろうね。自分も「全面的に日本が責任を認めれば良い」とまでは思わないよ。
ラノベ表紙やキズナアイ、碧志摩メグで散々サヨクが言ってきたことが、表現の不自由展・その後の再開問題で全部が特大ブーメランになっている。 強制連行や性奴隷の事実は白馬事件...
強制連行や性奴隷の事実は白馬事件を除いて存在していないのに、まるで存在しているかのような慰安婦像は日本人を貶めている。 「事実として存在してるかしてないか」という歴史...
アメリカじゃ軍人になるしか選択肢がない状況が「経済徴兵」なんて揶揄されてたり どうせお気に入りのマイノリティだけで、白人の貧乏人が同じ状況に陥っても自業自得って笑っち...
少なくともその辺りの話は一般論として語られる話であって、別に目の前の誰かに「辛かったよね…でももう大丈夫」とか声をかける類の言説ではないので、その一般論を見て「でもあ...
なるよ。
他人を傷つける行為をしても良い、損させても良い、と認められることが権利だろ? 表現の自由に限らずすべての権利はそうじゃん
そうだけど、「他人を傷つける表現の自由を認めない」と称する人らはそれが分かってない、ってのが元増すの趣旨な