2019-07-27

表現の自由が嬉しい階層と嬉しくない階層がある

表現の自由は大切、というのはまあ大雑把な話としてはほぼ頷く人が多いだろう。

だが多少細かく考えると、表現の自由が強く保護されている方が嬉しい層と、制限されている方が嬉しい層がある。

強者制限されている方がいい

国を運営しうるような人たちや、長大企業経営者などだ。

これはまあ言うまでもなくて、国民全体の自由は縛られてる方が自分たちへの批判も潰せて、支配を盤石にできる。

制限ルール決め事態に、この層にとって都合のいい意図が入れられるし。

強者自由な方がいい

おおむね一般の人。

そこそこのお金持ち層から中流の少し下の庶民まで。

この人たちは、表現の自由があったほうが支配階級からコントロール抵抗できるし、娯楽なども自由にあった方が楽しめる。

弱者制限されている方がいい

一応社会に参加はできているが、苦しみや悩みが多い層。

経済的にはひとつ上の強者と重なっている部分があるが、抱えているストレスなどが強く、心身が弱っている。

世の中の表現の自由度が上がれば、猥雑、暴力的、悪意的な表現も増える。

一般庶民は、そこから受ける刺激を受け流す余裕があり、その上で自由メリット享受できるが、この層は刺激に耐えられず苦しむ。

管理された安全さがほしい、という感じで、ある程度まで表現制限があった方が嬉しい。

弱者自由な方がいい

社会にほぼ参加できていない層。

存在に気づかれていなかったり、タブーになっていたりするアウトサイダー

声を上げなければ存在要求理解してもらえないが、その声はしばしば社会内部の人間にとって不快で強く刺激的な内容になる。

表現管理ルールが作られる時も、NG側、危険側に入れられやすい。

よって自由を求める。

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