平成最後に母親が死んだ。前々から癌を患い体調が優れなかったらしい。親の死に目にも会わなかった。見舞いもしなかった。そして今日執り行われる葬儀にも私は行かない
私は母親が嫌いだった
いつも母親の機嫌を伺いながら生きていた兎に角昔から怒鳴れるのが嫌いで他人が怒られてるのを聞いて泣いたことがあるレベルだ
私は実家を離れ社会的に転落していった、そんな中でも常識を押し付け続ける母がもっと嫌いになった
結婚しなさい
結婚しなさい
できない理由があるのも知らずにただ壊れたロボットのように繰り返す、こちらの事情も知らずに。そんな中での癌の発覚。私はもう家族と縁を切ろう、と決意した
現代の家族なんて実際そんな濃い縁でもなく電話番号もその時丁度解約されたので家族と連絡を取らないなんて案外容易だった
同居人経由で一応母の情報は聞かざるを得なかった。私のことで泣くこともあったらしい、少し動揺した。母が亡くなったと聞いた時も少し動揺した。金がない家系だから家族葬だと信じて疑わなかったのに新聞のおくやみ欄に載っていたのは更に動揺した。このまま葬式に出なくていいのか、少し迷った
が、喪服も交通費もないので出ないことにした。同居人や家族に頭を下げるなんて選択肢はなかった。親戚に社会的転落を指摘されるのも嫌だった。母の死を聞いてから夢に家族が頻繁すぎるほど出てきても、私はもう動揺しないことにした
ここで不思議なのが同居人だ。同居人、という言い方をしているが多分社会的には内縁の夫だ(5年以上同居してればそうなんだよね?知らんけど)流石に母の容体が悪化した時は少し直接言われたがそれ以降はLINEでの言及のみで今回彼は何も言わず、今日も普通に仕事に行った。無理矢理にでも連れて行く選択肢もあったはずなのに、諦めなのか
私は今日でまた社会的に一段転落したのだろう。別にもうそれはどうでもいい風俗も普通の仕事も続かない働けもしない引きこもりニートに普通とか常識とかそんなのもう通用しない
母は何を思って死んでいったのだろう
せめて私を産んだことを悔やんでて欲しい
平成最後も女は毒親叩き