2019-04-13

(前に書いた日記字数制限があったらしく切れてしまったので続き)

自分気持ちの整理のために吐き出したのでまとまってないし長い)



(主に要求を突きつけ言ってくるのは母親だが、それを止めず、兄に何も要求せずに与え続けたのは父も同じ)

から、もう絶望している。おそらく、間違いなく、親は己の兄妹の扱いの格差自覚していない。自覚せずにそれが当然、平等だと思ってやっているのだ。

表向きは仲の良い親娘として40年近くやってきたが、心の底で、自分はずっと親に失望し、怒り、泣いていた。そして、絶望し、諦めた。



実は親には言っていないのだが、自分は今、妊娠している。

だが、まだ産めるかどうかわからない。年齢的に言って流産確率が非常に高く、運良く妊娠継続できても染色体異常の確率は高い。もし検査で陽性が出たら中絶するつもりだ(育てる余裕がない)。

だけどもしも、もしも無事に産めたら。この子だけを可愛がろう。きょうだいなど要らないし作れない(年齢的に)。

自分聖人ではないし、子供を贔屓しないとは言い切れない。自分が親にされたことを絶対にしたくない。子供は一人だけで、愛情を独り占めさせてやろう。

そして、もし産めたとしても、両親には絶対に抱かせない。あなたたちの孫を産むのではない、私の子供を産むのだから

あれ程見たがっていた孫の顔を見られず、さぞかし親は哀しがるだろうと思うと、溜飲が下がる思いだ。

子供自分復讐の道具にするなという批判はあるだろうが、子供など親のエゴで生むものだ。少なくとも、子供自分の見栄と体裁の道具にしていたうちの親にだけはそれを言われる筋合いはないだろう。

こうなったのも教育の賜物だ。『お前は冷たい』と言われ続けたからそうなったのだ。因果応報、育てられたように育ったのだ、うちの両親は子育てを間違えたのだ。

そうなったらこから子育てに忙しいので、介護の余裕などない。マンションを与えて甘やかし可愛がった兄を頼ればいい、あちらには子供もいないしローンもないのだから余裕だろう。

親になったら、あなたがたの子供でいることを辞めるつもりだ。葬式には出るかもしれない。安心してほしい、墓の永代供養料は私が支払い済みだ(親の目の前で払ったのに、すっかり忘れてくれていたが)。

もしも子供が産めなかったとしても、もうあなた方とは縁を切りたい。依怙贔屓する親も前科者の兄もいないものとして生きていくほうが気楽だ、いずれ最後は一人だ。

だがもしも。

もしも自分たちの過ちを認め、自分たちが間違っていた、辛い思いをさせた、申し訳なかったと心から謝ってくれるなら、私は親子でい続けたい。

お父さんお母さん、私に謝ってください。

どうか、謝ってください。

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