この前映画見てて地球救った主人公が彼女との結婚を父親に認めて貰おうとするけど断られててでも距離は縮まってみたいなシーンがあって
前にそのシーンを"そうだ!彼女はトロフィーじゃない!物じゃない"みたいに書いてるの見た事があったの思い出したんだけど何ていうかこれを見てそう思ったの?って感じだった
主人公が彼女と結婚する資格のある男だという証明ができるだろうと意気込んだけどそういうのじゃないって断られるってシーンにしか思えなくてそれはむしろ地球救ったというトロフィーを持って行ったけど求められてる証明じゃなかった、主人公はまだそういう面で未熟さはあるけどでも父親も印象は悪くないって未来に少し繋がるようなポジティブなシーンだと思ったから
だけど取り様によってはそういう感想もあるのかなと思ったけど自分との印象の乖離具合に何でわざわざ主人公をそういう無自覚に女を物扱いしてる思考の人間て思ったんだろって考えてて
たぶんそれって腐女子嫌悪の末に目に入る作品をどう腐女子が好むかで判断しちゃうようになる人と同じなのかなって思った
その対象を嫌悪する故にそう見える要素でさえ排除したくて結果その対象の嗜好や思想を何より優先させて可能性の一番上に持ってきちゃってそれでものを見ちゃうみたいな
少年漫画の普通の友情シーンでも腐女子が好む事が分かって嫌悪感がわく
女は男に物扱いされているみたいな前提が頭にあるから何でもない言動もその前提に則って解釈してわざわざ嫌悪感を持ってしまう
それをたぶん気付いてもいない
悪い人間を知らない人は疑う事を知らないじゃないけど何か皮肉というか嫌いなものに囚われ過ぎてある部分で思考が同化して何より嫌悪する人間の考えや目で世界を見るって日々しんどそうだなって思った
雪の女王の鏡の破片みたいな話だなって
しんどいから更に嫌悪感が増す
むしろ毎日楽しいんじゃないかな 嫌いな人間を見ることはしんどいけど、嫌いな人間をやり込めたり落ち度を見つけてつつくのはこの上ない快楽だもの いちどその気持ちよさを知ったら...
自己紹介かな?
てへぺろ
今日も女はめんどくさい
多分そういう経緯で書かれたエントリではないと思う。