これまでの20数年間の人生、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。
生後間もない頃の私は純粋無垢の権化であり、光源氏の赤子時代もかくやと思われる愛らしさ、邪念のかけらもないその笑顔は郷里の山野を愛の光で満たしたと言われる。
それが今はどうであろう。鏡を眺めるたびに怒りに駆られる。
これが現時点におけるおまえの総決算だというのか。
まだ若いのだからと言う人もあろう。人間はいくらでも変わることができると。
三つ子の魂百までと言うのに、当年とって二十と四つ、やがてこの世に生をうけて四半世紀になんなんとする立派な青年が、いまさら己の人格を変貌させようとむくつけき努力を重ねたところで何となろう。
すでにこちこちになって虚空に屹立している人格を無理にねじ曲げようとすれば、ぽっきり折れるのが関の山だ。
今ここにある己を引きずって、生涯をまっとうせねばならぬ。その事実に目をつぶってはならぬ。
でも、いささか、見るに堪えない。
こんな文章が書ける人が、これまでの人生を無為に過ごして来たとは考えにくい。才能もあるそうだ。 / え? 元ネタがあるの? 何か有名な文章のパロディか何か?
責任者はどこか。あたりは四畳半神話体系?