はてなやら増田やらでLGBT差別とか諸々の問題に触れて、個人的に一応の結論を得た
「差別」をしているように見える側というのは、別にその属性が憎くて憎くてしょうがないから悪意を持って差別しているというより、
ただ他人というもの全般に冷たく、無関心なだけなのではないだろうか
だから悪意あって差別しているかのように言われても、認めたがらず否定しようとする、そもそも自覚すらない
自分がそうされているように、他人にも平等に冷たくしていたら、たまたま「西洋で持ち上げられている特定の属性」という名の地雷を踏んでしまったようにしか思えないのだ
そりゃ本人にとっては理不尽だろう
そしてこの傾向は反差別を名乗る側にすらある
彼らはお気に入りの存在にはやたらと優しいように見えるが、一方で敵とみなしたものにはとことん辛辣である
差別する側にも、それを糾弾する側にも、人権やら差別やらを語るなら当然の前提であるはずの人類愛というものが見当たらない
そりゃいくら議論したって不毛だろう、そもそも愛がないのに特定の属性にだけ愛を持って接しろと言われても無理だ
やっぱり宗教がないのが悪いんだろうか
西洋の人たち、他人に興味ありすぎだよね 人の性癖とか、同姓婚が許される許されないとか知るかよって感じしかない
他人に無関心で冷たいだけってのも突き詰めると10年ぐらい前の中国であった 車で轢かれた人が倒れてるのにしれっと横を通り過ぎていくみたいになっちゃうんだろうな
当時ネトウヨがチャンコロ民度ひっくwwww民度ひっくwwww人間ああなったら御仕舞だなwwwて喜んでたよな…