知らせを聞いたとき単純に、
よかった!
おめでとう!
父親大変だろうけど頑張れ!
驚いて少し泣いたくらいだ。
俺は結婚できないだろうし、もちろん子を持つこともないだろう。だから出産というイベントは自分には関係なく縁遠い、それこそ別世界の出来事だと思っていた。
でも同僚が俺にとってその別世界の出来事に見舞われるだけでこんなに感動するとは。(近しい友人にまだ誰も子供がいないし、兄弟親戚もいないから耐性がついていないからかもしれない)
いっちょまえに人の心が残っていたなんて知らなかった。
普段死んだような顔で仕事をし、なんなら全員死なないかな、世界が滅びないかなと終末思想に取り憑かれている俺が人並みにきらきらした感想を吐き出していいわけないとわかってはいるのだけど。(もちろんその同僚を呪ったこともある)
どの面下げて心からのお祝いをすればいいんだ。できないでしょ。金銭で解決しよう。
文字にすることであらためて自分の駄目さが浮き彫りになる気がする。そのことに対してほっとするし、反対に憂鬱にもなる。
それとも涙を流すほど驚いたのは、まだ努力もなしに人並みの(それが難しいんだけど)幸せに未練があるのだろうか。
俺はこんなにも浅ましかったのか。
一人でも大丈夫だと思っていた。今の世は生涯独身子なしも珍しくない時代だと思っていた。珍しくないは決して多数派にも飲み込まれない、ではないのだ。
これから自分の周りにはこんな出来事の知らせが沢山届くだろう。その度に自分は世界から外れた人間として思い知らされるのだろうか。
中途半端な偽善者にありがちな奴やな オマエは悪者にはなれないんだ・・・真人間になれ