この書き込みを見た人の中で佐野研二郎を覚えている人はいるだろうか。彼は東京オリンピックのエンブレム問題で理不尽な仕打ちを受けた被害者である。彼を泥棒呼ばわりする人が未だにいるが彼は既存のものを材料にして他のものを創作したにすぎない。既存のものを材料にして他のものを作る行為は彼だけでなく創作の仕事に携わる人間なら皆やっている。そのような方法でしか新しいものは作れないからだ。
彼を泥棒だと批判する人は創造性に対してある種の幻想を抱いている。創作の神様が天から降りてきて選ばれた人間に乗り移ると本気で信じている。正確な情報を伝えなければならないはずの新聞社でさえ「パクり」という定義が曖昧な言葉を使い彼を批判をしていた。現在の学校教育では他人の著作権を侵害してはならないと教えるそうだが、権利の対象となる著作物がどのように生み出されているかについても教えるべきだろう。これからもこのような仕打ちが続けば文化の発展を妨げることになりかねない。
既存のものを材料にして他のものを作る行為は彼だけでなく創作の仕事に携わる人間なら皆やっている。そのような方法でしか新しいものは作れないからだ。 彼がデザインしたものは...
パクリだって外圧がかかったからだぞ。 白人様がパクリだってんだからパクリだ。 わかったか、ジャップ。