ただ「凄い曲」とだけ表現していればよかった物が本当に「凄い曲」を作らないといけなくなるんだから。
でもそれが凄すぎたら今度は違和感が出るわけで。
けいおんとか3Pとかは設定に対して上手すぎ。
逆にBECKとかになると原作の設定がヤバすぎて映像化が追いつききってない。
かといって映像化するにあたって原作通りに本当に凄い物を作ってしまうとして、それを誰がやるのかって話になる。
著名人の凄い人を集めて凄い物を作っても、それは結果的に著名人の合作であって作品の設定とはぜんぜん違う代物になる。
だからこそ描けていた物、それらの嘘が白日の下にさらされるのが映像化なのだ。
それでも架空バンドの楽曲が実体を持つことの興奮は何者にも代えがたい。
嘘は嘘だがこれはいい嘘だと視聴者や読み手が感じれば映像化の勝ち。
それでも嘘は嘘だろうという気持ちの方が強ければ負けだ。
究極のギャンブルだ。
その点で考えると、天才が突然学園祭に乱入してプロレベルの演奏をして帰っていくハルヒのGod Knowsなんかは映像化にかなり向いていたと思う。
あれは分のいい賭けだった。