みかんの薄皮があまりにあっけなく溶けるのを見て、ふと重曹水で頭を洗うことにしてみた。増田、恥ずかしながらややふけ症なのである。
さて、実際にやってみると、理屈はわからないが湯ですすぐよりは汚れの落ちがいいような気がする。尾籠な話で恐縮だが、湯船につかって頭に重曹水を振りまくと、時に米のとぎ汁の如き水がしたたり落ちるのだ。そして、その状態から普通の湯ですすぐと、今度は何かが固まったような感覚があり、それは普通にシャンプーを使って頭を洗うと溶け落ちる。
無論、何らかの理論があるわけでもないし(アルカリが何かと反応して鹸化するのではないかといういい加減な仮説はあるが)あくまで体感に過ぎぬ。そして肝心なことは、数値化された改善度というものもないのである。ある意味ですべては気のせいだ。ただし、善悪なり全くの無害なりはわからないせよ、何かが起きている実感はある。
この状態は我流で辿り着いて理屈も効果も不明である、という事は一点の疑念もない。
しかし、これが何らかのインチキ療法の類で、藁にも縋る思いで始めた儀式だったらどうだろう。
効き目は不明だが、始めれば確かに多少の実感がある。その先改善が待っているのだ、快癒は近い、悪化していると見えるのは好転反応でやがて反転してよくなるのだ、と吹き込まれてしまえば、信じてしまうこともあり得べし、と得心が行った。なにせ変わった実感だけはしっかりとあるのである。それを上手く型をはめてしまえば、信仰心を獲得することはたやすそうだ。成程、この手の商売が尽きぬわけである。
まあしかし、とりあえずは1袋買ってしまった(900グラム入りらしい)重曹尽きるまで、この意味がないかもしれない、下手をすれば逆効果かもしれない儀式を繰り返さなければならないのである。