2017-08-06

原爆忌になると思い出す、祖母が許せなかった人の話

原爆被爆者で、何十年も被爆者地位向上などのため活動し、

署名活動をしたり、デモに参加したという祖母

滅多に他人批判悪口を言わなかったけれど、そんな祖母生前に一度だけ、

明確に「許せなかった」話をしてくれたことがあった。

 

テレビ被爆者ドキュメンタリー映像を見ていた時のこと。

なんとなく、「やっぱり被爆者手帳って嘘ついて持ってる人結構いるの?」と聞いてみた。

原爆被爆者に対する補助はかなり手厚く、年金ならぬ被爆者に対する援助のために

死にかけの親を何とか生かしてくれと頼む家族もいるくらいの代物である

祖母はあっさりと、「そりゃそうよ」と言った。

「あの人原爆に遭うてないよねって人もおったよ。でも証人がおれば手帳貰えたからね」

「なんという税金泥棒。そういう人ムカついたりせんかった?」

「そりゃ良い気分はしなかったけど、でもねえ、もっと許せん人がおったけえね」

おばあちゃんでも許せんくらいの人がいるんだ…と

びっくりする私から目をそらし、少しだけ俯いた祖母は続けて、

手帳ができるまでは、医療費がかからんくなるまでは、

被爆者差別をしよった人らが、平気な顔をして原爆手帳を貰っとったんよね。

被爆者じゃないって言いよったのに、何でもない顔をして実はそうでしたって」

 

被爆である広島においてもあったという被爆者差別

祖母はその上、若い東京に出ていたから、

私には想像もつかないような差別を受けてきたのかもしれない。

 

やさしい、やさしい祖母だった。

晩年まで寄付ボランティア活動をし、いつも孫やひ孫のことを祈ってくれた。

原爆を落としたアメリカのことも、差別をしてきた人たちのことも

何度か聞いたけれど、悪く言ったことは一度もなかった。

そんな祖母被爆後70年近く経っても、「許せなかった」という重み。

 

からすれば、嘘ついて援助貰いまくってる方が嫌だけれど

それは当事者として苦労したことがないから言えることなのかもしれないと、

当事者としてずっと頑張ってきた祖母の話を聞いて思った。

 

 

 

一応突っ込まれるかもしれないので書いておくと、

一度手帳を発行した後に取り消させるのは大変なので

さすがにおかしいだろ!と言った人はいても、

取り上げられることはそんななかったっぽい。

二人以上の証人がいるし、戸籍やら何やらがあっても

あの時広島長崎にいなかったとは言い切れないので。

これは祖母以外の人から聞いた話。

  • 被爆者手帳を貰える範囲とか調べてみたことなかった。 市外から投下後に市内に入った人(時間は色々あるだろうからわからないけど)は被爆者になるんだろうか。

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