ある記事に対して正しいか否かを議論することがいつも適切だろうか。
「男はみんな「元カノの成分」でできている」http://toyokeizai.net/articles/-/181141
この記事の内容は、作家である筆者が、自身の人生に影響を与えた元彼女との思い出を語るものである。
コメント欄では当てはまる、当てはまらない、キモイ、一緒にするななど議論を呼んでいる。
さて、この記事は本当に「男はみんな「元カノの成分」でできている」と主張する文章だろうか。
>よく男は未練たらしいとか、元カノはずっと自分のことを好きだと思っているんじゃない? とか言われる。でも言わせてほしい。それは違うのだ。
>男は昔の恋人を「忘れない」のではない。男は昔の恋人で「できている」のだ。
(中略)
>だから男が昔の恋人のことを、ついこの間のことのように生々しく思い出したとしても、
>「それがあなたの成分なのね」と笑って(笑わなくてもいいですが)許してほしい。
文末の許してほしいという言い回しからすれば、ちょっと後ろめたさを感じつつも
元カノ(あるいは女性たち)に自分の気持ちを訴えているという程度だろう。
そもそもこの文章はほとんど筆者個人の話しかないし、明らかに男の性を主張するものではない。
つまり、文の焦点が違うのだ。
ところがこの記事のコメント欄は、男が元カノの成分でできているかどうか、その成否判定で溢れている。
別に自分が当てはまらないとコメントすることがダメではない。しかし野暮なのだ。
小田嶋隆っぽい増田だなw ほとんどのはてなーは元の記事なんてちゃんと読んでない タイトルから記事の内容を都合よく推測、推測した内容に合わせて自分語りしたいだけだ 記事の著...