2017-05-22

マナー対立を目にする機会が増えたのは、SNS等による「他人のしぐさの可視化」という対立作成装置が産まれたからという表面的な原因に加えて、もう少し深掘りすると、同時代生活をする二者間に、文化振る舞い=マナーの共有がされなくなったからだ。

社会多様化しすぎ&勝ち負けが明確化されすぎたことで、文化的コードを共有できない/共有する術がない/共有する必要すらない「差」が産まれていて、一億総中流ではなくなった現在においてはその差が「生まれ育ちの差」を想起させることもしばしばで、対立煽り分断を深める作用をもたらすこととなる。

風景に関しては、生与の文化が後々まで影響を与える日常的な文化行動でもあるため、その対立は分断的になりやすいように思う。

個人的には箸の持ち方とか、いい大人の偏食を当然のようにドヤッと吹聴するとか、ありえねーと思うけど、何が悪いんだよ自由だろと言う人もいる。その人と私の間には、共有できる文化コードがない。

そして保守的マナー固執する私は、そうじゃない者からうるせーなスカしやがってと思われ、私はその人のことを「あまり近づかないようにしよう」と思う。

一応今のところ、実際に箸の持ち方が原因で人間関係を考えたことはないけれど、それは偶々過去にうえーまじかーと感じた人があまり多くなかったからだと思う。仮にこの先、仲良くなった新しい友人を家に招いたら矯正前のくわまんみたいな箸の持ち方だったり、口開けてくちゃくちゃ食事をされたら、家に招いたことを少し後悔すると思うのだ。

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