読書しない人は、外部より情報や知識を得る手段を持たないため(情報や知識を手に入れても分析する能力や理解力が乏しい)自分の経験に基づいた事しか話せない。主に過去を引っ張り上げて話すのだが、自分の過去を客観視することが出来ない為に、都合良く美化されている事が殆どだ。そして、語彙力が足りない為、どんな有用な経験談も陳腐な思い出話になる。
そして過去の美しい時代に取り込んだ情報、思考に固執しがちである。
また、想像力も欠如しているため未来についての話しが出来ない。そんな人が多い。
その一方で、外部の情報や知識が遮断されている為、自分の考えに確固たる自信を持っていることが多い。そして、それは時に人を惹き付けることもある。そんな人もいる。
読書ばかりしている人は、情報過多で頭でっかちになり、実際に経験していないのに想像で経験した気になる。そして、経験をするのが億劫になり、さらに情報に固執する。成功もしないが失敗もしない。いつしか情報は、臆病なプライドを守る砦と化してしまう。雄弁だが、実態は無い。経験の無さを突っつくと嫌な顔をする。そんな人がいる。
その一方で、知識が豊富な為、多様な考え方を持つ人もいる。新しいことに抵抗なく吸収するため、次の事、未来の事を創造することが出来る。そんな人もいる。
読書とは知識のメンテナンスなので続けていかなければ、頭が柔らかい時に取り込んだものしか理解できなくなる。
また、経験をしてその上で得た知識と照らし合わさなければ、頭でっかちな臆病者になる。
経験も知識と照らし合わせて検証しなければ陳腐な思い出話になってしまう。
そんな事をふと思った。