本来は大学院に行って勉強を続けるつもりだったが、地元の親が許さなくて色々面倒事があったからだ。
不本意で初めた仕事を続けてもう10年近いが、今でもイヤでイヤで仕方がない。
私には、仕事を始めるよりずっと前、就職が決まったその日に決意したことがある。制約といっても良い。
ある条件を見たした時、仕事を辞めて都会に行こうと。
それは時間や金や人や職場環境、家庭環境、自分の能力、残した成果などを加味した複雑な評価基準を条件として決めていたものだ。
学生ごときが考えた想定だったこともあり、冗談になるだろうと期待していた。
精神的にも肉体的にも参って崩れそうになった時は、何度もそれを頼みにして、自分の力、あるいは守りとして、生活してきた。
しかし、驚くべきことに、それは私の予想を超えて現在を許容できるものであった。
私の当時の決意は、面白いほどに的中した状況を作ってしまっていた。
そんな中、もうおおよそ仕事を辞めるであろうということが分かった時期に転機が訪れた。
母が大病を患ったのだ。そしてそれは、治るものではなく、ゆっくり死んでいくものだった。
しかし、私の制約はそれすらも許容していた。
私が仕事を辞めるのは変わらなかった。
先日、時折行っている母の見舞いの際、病気に伏せる母が私に言った。
「いなくならないでね。私がいなくなったら、父がひとりぼっちになっちゃう」と。
なぜだろう。私の制約はこの言葉を許容することが出来なかった。
過去の私の基準に当てはめると、私がいなくなることは決まっている。
もうすぐ、私の決意の有効限界時間が来る。そこからは私の心は10年の守りを失う。
以前と同じように今から先を考えると、いずれ私がひとりぼっちになることもまた予想される。
対して、私がいなくなると、父がひとりになること、母の望みが叶わないことが決まっている。
今、私はどうしたら良いだろうかと苦悩している。
20年もの間、私を守ってくれた両親と、その先10年を守ってくれた制約の間の天秤によって。
私が10年前に私に課したそれは、両親が不幸になることと、私が不幸になること、何れかを選択させる呪いであった。
どうやら私は人間だったらしい。
とりあえず母の前で「大丈夫だから。安心して」と言っておくのが大人。 その言葉を律儀に守る必要は無い。 一生父親の面倒を見ろという母の言葉は無責任な自己満足でしかない。 そ...