将来的な貧困云々を予想する人も共通する特徴は、国民の平均所得の変化だけを論じて、
その変化に応じた社会システムの変化に /まったく/ 無頓着なところ。
日本人の異常なほどの持ち家志向は、高度成長期に住宅に異常なほどの供給不足が生じたことから、
例えば賃貸において需要側が不当に不利な契約をさせられる、といった社会問題が続発したため、
「持ち家がなければ生活が安定しない」という社会的コンセンサスが背景にあった。
だが、当時と社会状況が大きく変化した現代ですら、まことしやかに「持ち家がなければ高齢者になってから路頭に迷う」と喧伝され続けている。
ところが、現実は賃貸物件の全国的な空き室率が5割に近付きつつあり、よほどの好立地でない限りは需要側が不利になることはない。
持ち家を所有するにしても、かつてはほとんど見られなかった中古物件をリノベーションするパターンが増えている。
状況が変化すれば、消費行動が変化するには当然なことだろう。
多くの人間は不利な状況になっても現状を維持し続けるほどにはバカではないので、環境が変化すればそれに応じて社会システムも変化する。
だから、現在の状況が完全に維持されるという謎の前提で将来予想をしても、実際の結果とは全く異なった予想にならざるを得ない。
若者特有の消費行動や価値観というのも、環境の変化に応じた社会変化の一種であり、適応の結果である。
中高年世代はそれをしばしば批判するが、それは旧世代の環境に応じて身に付けた価値観が現実と齟齬を来たしている結果に過ぎないのであって